百日紅10

小説

 末っ子であるにもかかわらず、優斗が兄姉きょうだいのなかで最も早く子どもを授かった。
 妻の舞も仙台の出身だ。体調が一番の理由だったが、その他の条件もことごとく合わず、出産のために青森から仙台に里帰りさせてやることができなかった。そのため長女の朱里は青森で生まれた。朱里の首がすわり、腰が安定して座ることができるようになって初めて、仙台に連れて帰ることができるようになった。朱里を初めて会わせたときの父の顔が忘れられない。
 朱里を父に抱かせることになった。ふわふわと柔らかい、こころもとない小さな命を抱くことに慣れていない父は、万が一にも孫を傷つけるようなことがないようにと、座布団の上に胡坐をかいた。そのときズボンの裾の先に見えた左右の足が、見慣れた形であることに小さな安堵を覚えたことを思い出す。
 孫をその腕に抱くために、父は半円を描くように右腕を固定した。麻痺の残る左腕は、普段は縮こまるように左胸に貼りついている。その腕に力を込め、胸から引き離して伸ばした。伸ばしたと言っても、肘を九十度程度に開くのが精いっぱいだ。その左腕を朱里の足の間に通し、開いた手の平で下から小さな背中を支える形を作った。その両腕の形に合わせ、舞が朱里の体を預けた。舞の手が離れ、父が自分一人の力で孫を抱きかかえたときだ。優斗は父の表情が柔らかく崩れた瞬間を見た。
 言葉はない。しかし父をよく知る人ならば、その顔が心から湧きあがった喜びで溢れていたことが分かったはずだ。
 約三年後。慎吾を初めて抱いたときにもまた、朱里のときとは違う喜びの表情を見せたことを思い出す。
 誇らしい。
 優斗が勝手に父の表情に意味をもたせていたに過ぎないのかもしれないが、そんな思いが込められていたように見えた。
 父と優斗との関係はぎくしゃくしたままいびつに冷え固まってしまった。何か理由をつけては家から離れていたかったし、大学進学とともに家を出てからというもの、もう実家に身を寄せることはなくなった。物理的にも心情的にも、父との間には距離があった。優斗に対する父の思いや言葉や態度には、もう何も期待しなくていいと思ってきた。しかし、父が二人の孫に対して抱いていた感情は、決して悪いものではなかった。ただ喜びだけがそこにあったと信じることができる。この子たちは父に、大切に可愛がってもらえる。その時々の父の笑顔を見ることができて、それで十分だと思ったことを覚えている。おそらくこの子たちの記憶には残らない程度の短い期間に限られたものとなるだろうが、おじいちゃんはお前たちをとても可愛がってくれたと話して聞かせることができる。

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