百日紅2

小説

 翌朝目を覚ますと、予報通り天候は荒れていた。特に風が強い。積雪そのものは少なく、おそらく十センチに満たないだろう。そのため夜中に除雪作業が行われることはなかった。これならば出勤の際、カーポートから車を出すために雪をかく必要はない。優斗はほっと胸を撫で下ろした。
 午前中に予定していた仕事は順調に片付いた。机の上を整頓し、車に積もった雪をかくためのブラシとブリーフケースを手に社屋を出た。その途端、猛烈な風雪に吹きつけられて倒れ込みそうになる。今朝の時点では少なかったはずの積雪が、数時間で膝下にまで達していた。全身にぐっと力を込めて強風をしのぐと、今度は風に巻き上げられた雪が次々と体に貼りついてくる。風雪を避けるために顔をそむけつつ瞼をきつく閉じると、次に開くのが怖くなった。ブラシを持つ腕を目の前に掲げながら薄く瞼を開き、少しずつ車へと近づいていく。
 運転席周りの雪を除き、車のキーを鍵穴へと差し込んでドアを開いた。持っていたブリーフケースを助手席に放り投げ、一旦乗り込んだ。イグニッションに差したキーを回すと、身震いするようにエンジンが目覚めた。車体全体を覆う雪をかくため、再び外に出た。こんなときには、ハッチバックの小さな車でよかったとつくづく思う。雪を払う面積が少なくてすむ。
 ドイツ製の車は車体こそ小さいものの、十分な安定感がある。フロントガラスから始めて車体全体の雪を下ろし、再びドアを開けて素早く乗り込んだ。激しい冷気に切りつけられ、手指がちりちりと痛む。左右の手の平に息を吹きかけて温めた。頬にあたる指先が氷のように冷たい。
 視界が悪い。しかし、これまで幾度となく雪の東北自動車道を走ってきた経験から、どんなに天候が悪くても盛岡もりおかまで行けば何とかなると思える。今は南下する先々で天候が回復するのを祈るしかない。
 フロントガラスの氷がけ落ちたころを見計らい、いよいよ車を発進させた。タイヤに組み敷かれた雪がさらさらと左右に逃げる感触が、アクセルペダルを通して伝わってくる。気温が低く、雪の粒子が細かい証拠だ。こんなときはタイヤが横に流されないように注意する必要がある。優斗はなお一層気持ちを引き締めた。
 国道七号線に出た。この吹雪だ。前を行く車は昼間でもヘッドライトを点ける必要がある。優斗は赤い尾灯が見える範囲に車間距離を取った。後続車にも自分の居場所を知らせるため、同じようにライトを点灯させた。交通量が少ないため、前の車が残したはずのわだちがすぐに雪に塗りつぶされてしまう。
 国道七号線から東北自動車道に乗る。粉雪にタイヤがとられないように十分に減速しながら、国道と高速道路との間の急カーブを右へ左へと遣り過ごす。ゲートの前で窓ガラスを下ろすと、風に乗って粉雪が刺すように吹き込んだ。
 合流車線に乗る。雪に阻まれて見えにくいが、ルームミラーとサイドミラーで確認した限り後方から車は来ていない。さらに首を右に回して後方を目視し、右のウインカーを点滅させてゆっくりとハンドルを切った。東北自動車道の走行車線に乗ると、轍が白く塗りつぶされているのは国道と同じだが、走行車線と追い越し車線とを分けるラインもまた見えない。すべての情報が瞬く間に白で覆われてしまう現実に、優斗の心は小さくなった。
 安全運転をと心がけるあまり必要以上に速度を落とせば、後続車に追突される危険も増す。速度、コースともに、うまく流れに乗ることが重要だ。優斗は一旦この流れに乗った。あとは急な速度や減速、ハンドル操作に気をつければ自分からトラブルを起こすことはないだろう。そう自分に言い聞かせた。
 東北自動車道は高低差が大きく、カーブも多い。そのうえこの悪天候だ。速度が出せないため、通常であれば五時間程度の道のりに六時間以上、あるいはもっとかかるかもしれない。それでも午後七時には実家に着くことができると信じたい。疲労や睡魔の回避、水分補給の必要から、二度は休憩を取っておく必要がある。尿意をもよおしたらもちろんのこと、サービスエリアかパーキングエリアに立ち寄ることも考えなけれはならない。宵の口までに目的地に辿り着くためにも、休憩は必要最小限にとどめたかった。

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