百日紅3

小説

 運転時間が一時間半を経過したころ、優斗は秋田県の花輪はなわ付近を走っていた。秋田を抜けて岩手に入り、しばらく走ると東北自動車道と八戸自動車道の分岐に差し掛かる。分岐の手前、湯瀬ゆぜから安代あしろまでが難所だ。山が左右に迫っている。吹き下ろしの風と、谷に沿って低地を這う風とが絡み合い、気流が激しく乱れる。この雪の最中さなか、おそらく視界がふさがれる。その予想通り、安代で激しい雪の乱舞に分け入った。
 ありとあらゆる方向から雪が襲いかかる。右へ左へと強風にあおられ、車体がぐらぐらと揺れている。制御しきれるはずのない自然の力に、体がきゅっと縮み上がる。
 目の前でごうごうと渦巻く風雪に視界が利かない。フロントガラスに貼りついた雪がワイパーによって左右に分けられるのはいいが、硬い氷の塊となってガラスの両端に居座り始める。ぐんぐんと狭まる視界の先に目を凝らすようになるため、自然とハンドルを胸元に抱えるように前のめりになる。吹雪ににじんで突然現れた電光掲示板には、マイナス九度と示されている。その反対に、優斗の手の平には汗がじっとりと滲む。
 いつの間にか、前後の車が途絶えている。ついさっきまで前方に見えていたはずの赤いテールランプが視界から消えたばかりか、ルームミラーにもサイドミラーにも後続車のヘッドライトが映らない。激しく叩きつける雪の向こうを覆う灰色の世界に、体がふわふわと宙に浮くような不思議な感覚にとらわれる。恐怖、焦燥、不安。そのすべてがぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が、手の平を止め処なく汗で濡らした。それを何度も太腿の布地でぬぐいながら、優斗は両手でハンドルを強く握り続けた。一刻も早くこの吹雪を無難に切り抜けることだけを念じた。
 ふと吹雪が緩んだのは、八戸自動車道との分岐に差し掛かったころだ。地形によって風向きも風力もがらりと変わる経験をした者ならば、その安心感を体が覚えていることだろう。優斗はほんの少しだけ、ハンドルを握りしめる力を緩めた。
 雪が天から地へと舞い降りる光景は幻想的だ。風が凪いだことによってそう思うことができるほどの余裕が生まれた。優斗は静かに胸を撫で下ろした。
 安代ジャンクションを右に折れた。雪は上から下への動きを継続している。しかしタイヤの下の圧雪が、ちょっとした不注意も見逃さずに事故へと導く可能性を秘めている。気を抜いた途端に足元をすくわれかねないと思い直した。もうすぐ岩手山サービスエリアだ。この周辺では比較的規模の大きなこのサービスエリアで休憩をとることにしていた。
 車内の時計で時刻を確認した。三時半だ。青森の職場を出てから二時間半が経過している。通常より一時間ほど多く時間がかかっている計算になる。かと言って無理に急ぐつもりはない。視線をフロントガラスに戻した。
 間もなく岩手山サービスエリアの入り口が見えてきた。ウインカーを上げてハンドルを左に切った。
 サービスエリアに車を停め、降りしきる雪のなかを首をすくめて歩いた。自動ドアをくぐり、まずはトイレに入った。
 駐車場の車の数から予想はしていたが、フードコートは込み合っていた。温かい茶が飲みたくなって、無料の給湯器にむかった。紙コップを出すためにボタンを押そうとしたが、指先の震えのためにうまくいかなかった。寒さだけでなく雪道の険しさに、自分で思っているよりもずっと緊張していたことが分かる。こんな些細なことのために腕に力を込めなければならない。ようやく手に入れた安堵がそうさせたのだろう。優斗は一人で笑った。

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