おそらく小学校の低学年のころだったと思う。風で流されてきたのだろう。雪が舞っているのに頭上に雲はなかった光景が思い出される。
冬の凛と澄んだ空気の向こうに、不似合いにも大きな夕日があった。幼い自分の頭や肩に白い綿が降り積もり、その体全体を夕日が真っ赤に染め上げていた。優斗は雪を避けるために帰宅した。そして、父に平手で打たれた。
視覚的な背景は断片的に覚えている。そして、頬を平手で打たれた事実とその痛みは鮮明に。しかしなぜそうなったのか、事の経緯が明確には思い出せない。それまでに何度も試してはみたのだが、うまく記憶の抽斗を開けることができないままだ。
左の頬がひりひりと痛んだ。しかしそんな痛みよりも、驚きの方が勝っていた。
頭の中が真っ白になり、ただそこに座り続けた。そのときの呆然も自失も、優斗にとっては初めての経験だった。
サービスエリアの窓の向こうから日が差し込んだ。優斗は自分の目を疑った。ついさっきまでの厚い雪雲と激しい風雪による闇が、嘘のように切り裂かれている。その裂け目から、赤い、大きな太陽が顔をのぞかせている。
明るいうちに少しでも距離を稼いでおきたい。優斗は席を立った。
外に出ると、悪天候のために見えていなかったはずの岩手山が、頂だけを隠して裾野を見せている。ごつごつと雄々しいその山裾が、夕日を背景に黒い影を浮かび上がらせている。
優斗は空を見上げた。地上近くに広がる橙色から始まり、上に向かって群青に至る。その視界を笑うかのように、白い雪がはらはらと舞い降りる。
車に乗り込み、クラッチペダルを踏んだ。エンジンをかけてクラッチを繋ぐと、青い車はゆっくりと動き出した。アクセルを踏み、エンジンの音が高まるたびにギアを上げた。走行車線に入り、四速から五速に入れた。
降雪は緩み、風は凪いだ。しかし、路面は圧雪のままだから、ハンドル操作には十分な注意が必要だ。それでも、視界が明るく開けているため、サービスエリアで休憩を取る前とは比べものにならないほど運転が楽だ。
夕日が山裾に姿を隠すまで、もう数分だろう。夜が大地を覆う中を走った。あと二時間半もすれば仙台に着くだろうか。暗くなるとはいえ、天候と道路状況が少しずつ改善されていくなかを進むにつれ、もう少し到着時間の予測を早めても許されるような気がした。
事の経緯を忘れていたとしても、父に打たれたときの光景を思い出したことが関係しているのだろう。運転への余裕は、優斗に記憶をたどるゆとりを与えた。