百日紅9

小説

 父親の入院を知らされたのは、年が明けて一月も半ばを過ぎたころだ。
 六十代前半に脳梗塞で倒れて以来、父の左半身には麻痺が残っていた。十年以上にわたってリハビリに取り組みながら、日常生活は一人でそれなりにこなすことができていた。しかし、前年の九月に玄関先で転倒し、股関節の骨の一部を折ってしまったという。たまたま家人が出払っていたこともあり、数時間にわたって発見されなかったことがさらに事態を悪化させた。入院と手術を経て、退院後は自宅で寝込むようになった。同居している兄夫婦がいるものの、二人とも正規雇用として働いている。同じく七十代も半ばに差し掛かった母親が、父の介護を一手に引き受けざるを得なくなった。
 玄関先での転倒と骨折以降のことを、優斗はまったく知らされずにいた。母親が、遠方に住んでいる優斗が心配して何度も帰省するようなことが起これば迷惑がかかるからと、事実の秘匿を譲らなかったという。しかし時折意識の混濁が見られるようになったこの期に及び、事実を知らせなければならないと判断された。
 ひどい話だ。優斗はそう受け止めている。
 父と話ができる機会が限られている。今や一日の大半を眠り続ける父のためにしてやれることなどほとんど残されていない。これまでに何か親孝行と呼べるようなことをしてやれただろうかと考えてみても、何一つ思いあたらない。知らなかったこととはいえ、何の役にも立っていない自分が不甲斐なくてならない。
 病室の扉の前に立った。磨りガラスの向こうの明かりは消えている。そっと引き戸を開いた。もう、水を入れるしか方法がないのだと、前日の電話で母が話していた。そのままの現実が、今、目の前で起こっている。
 ベッドの横、父の顔が見える位置にパイプ椅子を置き、座った。
「久しぶり。どう?」
 返事など期待するはずもない。話すべきこともない。しばらくの間ただじっと、表情が抜け落ちたその顔を眺めた。
 どれくらいそうしていただろうか。一時間にも二時間にも思える。もしかしたら十分にも満たなかったかもしれない。思い出に浸る、あるいはこれからのことをあれこれと思い悩むというのではない。何かこう、不思議と頭のなかが空になる。だからこそ時間など忘れてしまうのかもしれない。腕の時計を見ると、蛍光塗料によって光る短針と長針が七時半を指していた。一時間とちょっと、そんなふうに過ごしていたことになる。
 鼻と口とを覆う透明なプラスチックは、チューブを通して酸素ボンベにつながれている。口での呼吸に内側が白く曇っている。その横に心音計。緑色の光の線が、弾んだり沈んだりを繰り返している。その線の起伏が緩やかなように思えるのは気のせいだろうか。そして点滴。
 足が浮腫むくんで可哀想だと、母が言っていた。椅子を立ち、父の足元の掛布団をそっと持ち上げてみる。
「これはひどい」
 思わず声が口をついて出た。
 前合わせの、丈の短い寝巻の裾から伸びる左右の足は、浮腫んでいるというよりもれあがっているように見える。左足の甲に指先だけで触れてみる。軽く押してへこんだ部分だけが白くなる。そこがなかなか色と形を取り戻さない。これでは苦しいだろう。
 パイプ椅子に手を伸ばし、ベッドの横から父の足の方に移動させた。腰を掛け、もう少し足元の布団をめくった。寒くはないようにと左足だけ。
 特に腫れがひどい左足の、脹脛ふくらはぎを両方の手の平でそっと包んでみる。ぞっとするほどに冷たく重く、やはり膨張している。そうしていいものかどうか迷ったものの、何もせずにはいられなかった。優斗は左手で父の左足首を押さえ、右手の親指の付け根を使ってすねからひざに向かって軽く、ゆっくりとさすった。もうすでに感覚は失われているのか、身体的な反応は何も起こらない。心音計にも特に違いは見られない。摩る程度なら大丈夫なのだろう。優斗はマッサージを続けた。
 腫れあがってはいるものの見覚えのある足の形に、生まれたばかりの長女を連れて初めて帰省したときのことを思い出した。

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