1.『放課後の音符(キーノート)』「Body Cocktail」 山田詠美著 新潮社 1989年10月10日発行

書評

 本との出会いは人とのめぐり会いに似ていると思うことがあります。初めは偶然でも、どちらか一方、あるいは両者の意思が働いて、うまくいけば次に会う約束が結ばれます。会いたいという思いが一方を、あるいは両者を走らせます。本についても同じことが言えます。最初に手に取ったのは偶然でも、相手(本)の魅力にぐんぐん惹きこまれ、もっと知りたいと思うようになります。何らかの理由で手放すことがあったとしても、相手のこと忘れられず、また手に取って読みふけりたくなる。確かに、本の方から私たちに歩み寄って来ることはありません。しかし、本は私たちが歩み寄るのを待っています。読み手である私たちのなかで機が熟すまで、再会をいつまでも待ってくれているのです。
 それは2010年の、年が明けたばかりの頃でした。仕事の合間にある街の図書館に入る機会に恵まれました。限られた時間内に読み切ることができるようにと短編集を探していたところ、山田詠美の『放課後の音符』に目がとまりました。10代20代の頃は山田詠美の作品を積極的に読みたいとは思えませんでした。物語や文体そのものではなく、恋愛や男女のやりとりにを殊に過激に描くことで読者を獲得しているような、そんな印象が彼女の本を手に取ることから私を遠ざけていたように思います。しかし、この本の印象はちょっと違っていました。椿でしょうか、表紙から裏表紙までぐるりと花の絵に囲まれた装丁が美しく、思わず手に取ってみたくなりました。実際に手にしてぱらぱらとページを繰ってみると、一つひとつの物語が簡潔に結ばれていて、とても読みやすそうに見えました。本を読むのが遅い私でもこれなら時間内に一編は読み終えることができるだろうと思い、最初の物語、「Body Cocktail」を読み始めました。
 まず、一行目にしてやられました。素直に上手いなと思わされたした。物語にすっと惹き込まれ、その続きを知りたくなりました。そんな最初の一文にすっかり感心させられつつ、物語の世界に入り込んでいきました。登場人物は二人の女子高校生です。その年頃ならではと言っていいものかどうか、一方の女子生徒がとある問題を抱えています。その問題に関する二人のやりとりがとても自然で、感情の起伏が激しい若い世代の心情を実に巧みに描いているのです。その問題を打ち明けられたもう一方が友人を慰めるべきなのに、むしろその友人になだめられる側に回ってしまったことから自分の幼さを思い知らされる場面など、若い世代の苛立ちやもどかしさが痛いくらいに伝わってくるのです。この物語は本来的に、比較的若い世代の女性を読者層とした雑誌に連載されたものの一部です。短い文章ながら、対象とされた世代の心に働きかける上でとても強い力をもった作品であると思いました。
 「Body Cocktail」を2回読み返したころで時間がきました。他の短編が気になりましたが、返すことができるあてがないために本を借りることはできませんでした。私はきちんと読み込みたいと思える作品は手元に置いておきたい性質たちなので、帰りに古本屋に寄り、購入したいと思いました。初版が1989年なので、単行本は古本屋でしか扱っていないはずです。人との出会いのように、この本に再び会うために私の方から足を運んだということになるのでしょう。ところが、いざ目的の古本屋に立ち寄ってみると、にわかには信じることができないような光景に出くわしたのです。私は店に入り、単行本のコーナーに回りました。すると本棚にではなく、背表紙を上に向けて並べられた本の列のさらにその上に、今にも床に落ちそうな危うさで、一冊だけ無造作に放り出された本があることが遠目にも分かりました。店員さんが商品管理をきちんと行っている印象がある店舗だったため、そんなふうに本が置かれている光景自体が珍しいものでした。何の気なしにその場所に歩み寄った私は、それを間近に見て唖然と立ち尽くしました。おそらく何万冊もの本がひしめき合っているなかで、その日、珍しくもあり得ない様子でそこに置かれていた本こそ、私が購入しようと思っていた『放課後の音符』そのものだったのです。信じられますか? 自分だけが本に歩み寄ったのではなく、本の方からも私との再会を求めて歩み寄って来てくれた、そうとしか思えないような本との再会でした。
 私は偶然の面白さよりも、誰かが私の心を読んで驚かそうとしているのではないかという、恐ろしさを強く感じました。私の心のなかを覗き込むことができる誰かが物陰からこっそりと、驚く私の姿を観察しているのではないかと思い、つい辺りを見回してしまいました。今どきはどこにでも監視カメラがあるのでしょうから、本を目の前にして腰が引けたまま動くことができずにいる私の姿を誰かに見られていたら、その目には私の姿がさぞかし間の抜けたものに映ったことでしょう。実際にはごく短い時間だったのですが、しばらくの間本を見つめたまま、私はその場から動けずにいました。良いことか悪いことかは分かりませんが、うっかり手を出して本に触れようものなら、何かとてつもなく大きな出来事が起こるような気がして、尻込みしていました。でも、長らく迷った末にこう考えることにしたのです。日常生活のなかで、これほど理解に苦しむ事実にはそうそう出くわすものではありません。もしかしたらこの本を手にすることをきっかけとして、私の退屈な日常にくさびを打つような出来事が起こるのかもしれない。そう考えることで、私のなかでようやく不安よりも期待の方が大きく膨らみ始めたのです。私は意を決して本に手をのばしました。もちろん、本がいきなり爆発することもなければ、ページの隙間からべろりと大きな舌が出てきて私の手首を舐めあげるようなこともありませんでした。というわけで、『放課後の音符』は私の自宅の本棚でひっそりをたたずんでいます。もしかしたら今度こそ私を驚かせるために、その秘められた大きな舌で私の手首をべろりと舐め上げる機会を虎視眈々とうかがっているのかもしれません。

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