13.『夏の庭』 湯本香樹実著 新潮文庫 平成6年2月25日発行

書評

 ある年のことです。7月の終わりから8月の初旬にはとても暑い日が続きました。私が担当する部活動は屋内競技であるため、基本的には天候に左右されずに活動することができます。しかし、外の気温が上がると体育館は35度を超えることもあり、その場合には練習を打ち切る場合もあります。たとえ35度に達しなくても、外で活動する競技と同じかそれ以上に生徒の体調管理に注意を要します。通常より多く、そして長めの休養と、給水を交えながら練習に取り組まなければなりません。体調の異変に気がついたら一旦練習を休ませるなど、生徒一人ひとりの様子を注意深く観察することも大切な仕事の一つになります。湿度が高いと、練習環境はさらに厳しいものになります。風が凪いでいる日は窓を開けても空気がうまく循環しないことがあり、湿った空気が思うように出ていってくれません。今日は蒸し暑く汗がひかないと思って体育館の湿度計を見ると、嘘か本当か100%近くに達していることもあります。そんな環境の中で生徒を走らせるわけですが、彼らは本当に大変な思いをしていたはずです。それでも指示通りに動こうとする姿を見せてくれました。練習メニューを指示している私自身が、よく頑張るなと思いながら生徒の様子を見ていたくらいです。
 毎年の夏には合宿を張ります。殊に合宿中は午前・午後・夜と練習をこなしていくわけですから、体はもうへとへとに疲れているはずです。それでも夜になると「夏の魔法」にかかるのか、生徒たちは合宿所で楽しそうにはしゃいでいました。この「夏の魔法」には、私にも心当たりがあります。私にも高校生の頃、夏の合宿を行った経験があります。夜になると疲れた体に何か新しい力が湧き出すような「夏の魔法」に、かつて高校生だった私もかかりました。そして就寝時間のあとに、こっそり合宿所を抜け出すのです。水着など準備しているわけもなく、全裸で学校のプールに入るのは定番中の定番でした。街灯の明りを夜霧がぼんやりと浮かび上がらせています。その淡い光が水面に反射して、光の帯が暗い水の中をひらひらと舞うように見えます。その光の帯を切りながら、水の中を泳ぐのです。その気持ちいいことといったらありません。それこそ夏の醍醐味とばかりに、私たちは夜のプールを満喫しました。夏の夜の公園も、私たちの王国です。自動販売機で缶コーヒーを買って公園に入ります。やりたいことは山ほどありますが、私が好きだったのは滑り台の上の鉄板に寝そべることです。蒸し暑い真夏の夜、そこはひんやりと冷たくて気持ちがいいのです。運良く晴れていれば、仰向けに寝そべった目の前に星空が広がっています。当時も今も、夜空を見上げて星の名前や星座を言い当てることなどはできませんが、夏の夜空を見上げている時間こそが特別なのです。あまりにも幸せ過ぎてついうとうとしてしまい、目が覚めたときには夜が白々と明け始めていたということもありました。朝の光に追い立てられるように急いで合宿所に帰ったことを、今でも鮮明に覚えています。
 『夏の庭』は、少年たちのひと夏の冒険物語です。「死」について興味を抱いた少年たちは、「死」に近いと思われる老人に対する「観察」を思いつきます。まずはこの発想に驚かされます。見知らぬ老人が死に至るまでの様子を「観察」しようなどと、何と恐ろしいことを思いついたことでしょう。しかしよく考えてみると、このことは子どもながらの残酷さをよく表現しているように思えます。子どもの行動には、相手が傷つくのではないだろうかなどと考えもせず、思ったことをそのまま口にしてしまうようなことが往々にして起きます。それは子どもが十分な社会性を身につけていない分、他者に対する思いやりを欠くために生じるものです。「死」の恐ろしさや虚しさを知らないからこそ、客観的に「死」を「観察」しようとする意思が生まれるのです。「観察」はやがて老人の気がつくところとなりますが、少年たちと老人との交流が進むにつれ、いつの間にか互いの存在に深い意味を見い出すようになります。この変化がとても丁寧に面白く描かれ、まるで作者が「夏の魔法」をかけたように、読者はぐいぐいと物語の世界に引きこまれていくのです。
 『夏の庭』の少年たちについて感心させられるのは、自ら冒険を手に入れようとしている点です。私たちは日常生活を送るなかで、大小様々な冒険をしようかどうか迷うことがあります。冒険にはそれなりのリスクが伴うからこそ迷いが生じるのです。大人になるにつれて社会的な責任が増すため、冒険に対するリスクが増大する事実には、多くの方々に賛同していただけるところだと思います。例えば全裸で泳いでいる姿を目撃されても、高校生ならば笑って済まされることでしょう。しかし、大人であればそうはいきません。例えが適切かどうかは別にして、大人の行動は子どもの場合よりも多くの制約を受けているのです。しかしそれでもなお、冒険したいと思う心に嘘をつくことができない場合があるでしょう。『夏の庭』の少年たちが「死」を知るための冒険を始めたように。ときには自分の感情に正面から向き合い、冒険したいと言っている心の声が聞こえたような気がしたなら、思い切って行動を起こしてみるのもいいのではないでしょうか。春夏秋冬を問わず、「夏の魔法」にかけられたふりをして、ちょっとだけ悪い大人になってみることを皆さんにお勧めします。きっと、仕事の憂さなどどこかに吹き飛んでしまうことでしょう。あっ、そうそう、今回の文章はあくまでも大人の方々に対するメッセージです。そうか、「夏の魔法」を言い訳にすれば少々悪いことをしてもいいんだな、などと考えている20歳未満がいたとしたら、それは大間違いです。特に我が部活動の生徒たちよ。合宿中に合宿所を抜け出すようなことがあれば、容赦なくしごきますよ。

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