同じ目的を果たすために、取ることができる方法にはいくつかあります。
例えば相手に文書を送るためには、手紙やメールという方法が考えられます。私は仕事上、毎日のように誰かとメールの遣り取りをしています。パソコンでメールを打つ際にはキーボードを使います。そのため文字のばらつきや癖字などのコンプレックスから解放され、誰にでも読みやすい文字で文書を作成することができます。また、文書を作成している間に、簡単に、何度でも書き直すことができます。文書の内容そのものも、簡易だとしても相手に対して失礼にはなりにくい傾向があるように思います。そして何と言っても、即時性が最大のメリットです。書いたばかりの文書をあっと言う間に相手に伝えることができる特性は、常に早さが求められる現代社会に適したツールであると言うことができるでしょう。一方、手紙はどうでしょうか。ここでいう手紙がすべて手書きの文書であるとの前提に立つものとします。同じ文面を書く場合、手書きはキーボードを使った文字入力に比べ圧倒的に時間がかかります。そのうえポストに投函する手間や、相手の元に届けられるまでにいくつかの過程と人の手を経なければならないことを考えると、即時性という点に関しては完全にメールに負けてしまいます。しかし、伝達手段に求められる要素は即時性ばかりではありません。たとえ文面が同じであったとしても、そこに書き手の個性や受け取る相手に対する思いがより強く込められるのが、手書きの手紙の最大の特性なのです。大切な相手への手紙は丁寧に書くことを心掛けるものですし、その反対に、いかにもぞんざいに書かれた文字を見せられれば、書き手が自分のことを大切に思ってくれていないと、受け手は感じるものです。メールが普及した現代だからこそ、わざわざ手書きの手紙を書いてくれた相手への感謝も湧いてくるというものです。さらに、即時性においてメールにはかなわないとしても、数日もあれば日本全国どこにでも手紙は届けられます。多くの場合、それで十分に間に合うのではないでしょうか。新しい物が必ずしも古い物を駆逐するわけではなく、古い物に新たな価値を加える働きをもっていることを示す好例であると言えます。
ノックについても同じことが言えます。室内にいるであろう相手に対し、訪問を告げるのがノックです。家族やルームメイトのように、相手が誰であるのかをほぼ確定することができる場合を除いて考えてみてください。あるいは学校や職場といった、限られた範囲での場合も除外させてください。最近、ドアをノックして誰かの家や部屋を訪れたこと、または訪問を受けたことはありますか。インターフォンが普及した今、訪問する側とされる側との間にノックが介在する余地は少なくなってきているように思います。インターフォンが押されるとカメラが作動し、室内に居ながらにして訪問者を確認することができるからです。来訪を告げる手段としてノックとインターフォンを比較した場合、より一層ドキリとさせられるのはノックの方なのではないでしょうか。ドキリとさせられるということは、表現を変えれば感情が揺さぶられるということです。この感覚はあくまでも個人的なものなので、必ずしも皆さんの同意を得られるものではないのかもしれません。また、メールと手紙の場合のように、その差異が明確ではないとも思います。しかし経験的に、ノックの方が唐突で、しかも強く受け手の内面に食い込んでくるもののように思えるのです。
数年前、私が仕事の関係でハワイを訪れていた、ホテルでの出来事です。午前二時ごろ、眠っている私の部屋のドアを誰かがノックしました。おそらく、一度目のノックから気がつくことができていたわけではありません。ふと気がついて眠りから覚めると、ドアがノックされていたのです。深夜のことですから、眠たさが半分、面倒臭さが半分はあったものの、私はベッドから起き上がり、ドアの前まで歩きました。そして、ドアの覗き穴から部屋の外の様子を伺いました。するとそこには、真っ赤なワンピースを着た黒髪の女性が立っていました。黒いサングラスをかけているうえ、うつむいた顔は垂れた髪に隠され、表情を伺い知ることはできませんでした。その女性が右手でドアをノックし続けています。そしてその音は、次第に強さを増していくのです。私は怖くなりました。旅先の異国で心当たりのない女性に関わり、何か取り返しのつかない結果に陥ってはたいへんです。私はドアを開けないことを決めました。そしてベッドに戻り、掛布団の中にもぐりこみました。それでもノックの音は鳴りやみません。やはり強さは増すばかりです。仮にドアにインターフォンが備わっていれば、次第に音や強さが増すことなどありません。ノックだからこそ私の恐怖心をあおるという点において、インターフォンをはるかにしのぐ力を発揮したのです。いよいよそれがドアを殴りつけるような強さに達したのち、ようやくノックは止みました。ドアの前は急な静けさに包まれています。私はベッドから這い出し、恐る恐る覗き穴に視線を通しました。「あっ」。思わずそう声を出してしまいました。女性はまだそこにいたのです。しかもぐっとドアに近づいて。覗き穴から注がれる私に視線に気がついたのか、女性が何か叫びました。それはよく聞き取ることができない、外国語のようでもあり単なる奇声のようでもありました。その声だけを残すと、女性はようやくドアの前を離れました。絨毯の上を歩き去るかすかな足音が聞こえ、遠ざかっていきました。しかし、私の中に生まれた恐怖心はいつまでたっても遠ざかることなく、留まり続けたのです。
ハワイに向けて日本を飛び立つ前、私は成田空港で『ノックの音が』を購入しました。旅の間、眠る前に少しずつ読み進めようと考えてのことです。いわゆるショートショートと呼ばれる十五の作品群は、物語が小気味よく進展するためとても読みやすくなっています。十五作品すべて、書き出しもしくは物語の早い段階で「ノックの音がした」と書かれ、訪問者の登場によって物語が進展していく様子が描かれています。短い文章の中で登場人物の立場が目まぐるしく転換し、いわゆるどんでん返しが至る所にちりばめられ、読み手を飽きさせないばかりか、なるほどと感心させてもくれます。十五作品目が多少怪談めいている以外は、巻末の「あとがき」で作者本人が使っている表現を借りれば、「ミステリー風」の作品が連なっています。ハワイで、上述のホテルに連泊した四夜のうち、毎夜三作か四作ずつ『ノックの音が』を読んでいたものですから、私の部屋にも誰かの手によって、ノックの音にまつわる物語が届けられたのかもしれません。もしそうであるのなら、誰がそんな粋(?)な計らいをしたのか、知りたいものです。恐縮ではありますが、「赤いワンピースの女」を勝手に『ノックの音が』の十六作品目に加えさせてもらう妄想に耽ることで、怖かったノックにまつわる体験を笑って誤魔化せるようにしたいと思っています。
19.『ノックの音が』 星新一著 新潮文庫 平成26年6月10日30刷
