2025-01

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『明日の私』第10章「保奈美」(5)

「てことは、美夏も地元の国公立志望?」「うん。国立に行ければいいなって思ってる」「難しそうだね」 変になぐさめるようなことを言わないのが保奈美のいいところだ。「ほんと、頑張んなくちゃね」「何学部?」「それがまだ。将来やりたいことがまだ分かん...
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『明日の私』第10章「保奈美」(4)

「ひどいでしょ、家」 溜息の中から言葉を発した、そんな話し方だった。「ちょっとびっくりした」「だよね」 保奈美は川の方に視線を飛ばした。「自分が育ってきた家なのに、中にいるのが嫌でさ。長い時間一人でいられないんだ」「で、ここに来るんだね」「...
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『明日の私』第10章「保奈美」(3)

保奈美は短く張り出した玄関わきのひさしの下に自転車を寄せた。私もその隣に自分の自転車を並べた。家の鍵を鞄のポケットから取り出すと、彼女は何も言わずに玄関の鍵を解いた。引き戸をガラガラと開けて私を中に促すと、自分は靴を脱いでさっさと台所に向か...
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『明日の私』第10章「保奈美」(2)

「美夏ーっ」 自転車をこぐ足を止めて声に振り返ると、道の向こうに保奈美の姿が小さく見えた。美夏は自転車を降りて保奈美を待った。小柄な彼女の足が、せかせかと自転車をこいでいる。その光景は早回しのフィルムを見ているようで面白かった。「保奈美、ど...
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『明日の私』第10章「保奈美」(1)

合宿二日目。エアコンの効いた職員室内のいつもの小部屋で、朝食後の約三時間を学習にあてた。その後解散する予定になっていた。「ふーっ、ようやく終わったな。たったの一泊二日だし、俺は何をしたってわけじゃないけど、何だかえらく疲れたな。ようやく家に...
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『明日の私』第9章「合宿」(11)

私は手の甲でそっと涙を拭った。そして、いいえと低くつぶやいた。「美夏ーっ」 遠くで保奈美が私の名前を呼ぶ声がした。私はつと立ち上がって物干し台の上がり口から廊下に顔を出した。「保奈美、今そっちに行く」 一本の廊下の反対側の端で、私の姿を探し...
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『明日の私』第9章「合宿」(10)

私はまた、自分の胸が静かに熱を帯びていることに気がついた。春の陽光に照らされた海のように温ぬるみ、しんと凪いでいるのを感じていた。心のどこかにいつも抱えこんでいた苛立ちが、小さな板切れになって大海原にぷかぷか浮いているように思えた。自分は途...
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『明日の私』第9章「合宿」(9)

私は心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような息苦しさに喘いだ。なぜかは分からない。しかし、柏木の困惑が私の体に痛いほど伝わってくるのをどうにも止めることができない。何か言葉を口にしたかったが、うまく唇が動かなかった。「本当なら、これからは俺も親父...
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『明日の私』第9章「合宿」(8)

「星の観察会っていうのかな。確か希望者が多くて抽選になったと思うんだけど、天文台の企画に家族で参加したんだ。東京って言っても郊外の山の上に上ると、空が近くて小さな星にも手が届きそうな気がしたことを覚えてる。もう二十年も前の話だ」 ぼんやりと...
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『明日の私』第9章「合宿」(7)

しかし、この夜は違っていた。なぜだろう。胸の奥がほんの少し温かい。「周りが田んぼとリンゴ畑ばっかりでちょうどいい具合に暗いから、こんなささやかな地方都市の明りも綺麗に見える。夏の夜に涼しい風に吹かれながら街の灯ひを眺めるには最高の場所だろ?...