小説 『明日の私』第9章「合宿」(6) 腕の時計は十一時半を示していた。夏の夜の蒸し暑く真っ暗な中に、自動販売機が自らの放つ光によってぼうっと明るく浮かび上がって見えた。小銭を入れてボタンを押した。ペットボトルがガコンという音を立てて取り出し口に落ちた。柏木が消灯時間として設定し... 2025.01.08 小説
小説 『明日の私』第9章「合宿」(5) 「何かさ、すごく楽しいよね」 昇降口横の水道で、私と並んで手を洗っていた保奈美が言った。「そうだね」 何の気なしにそう言って横を見ると、保奈美が笑顔のまま、声を殺して泣いていた。「保奈美、どうしたの?」 驚いて問いかけた私に向かい、保奈美は... 2025.01.07 小説
小説 『明日の私』第9章「合宿」(4) 柏木が振りかぶった。小さな体重移動だったが柏木によって適切な力が加えられたボールは、私のグローブめがけて真っ直ぐに飛んできた。ボールそのものの勢いだけで私のグローブを閉じさせる。正しすぎてつまらないボールだ。 私はグローブのなかのボールを右... 2025.01.06 小説
小説 『明日の私』第9章「合宿」(3) 柏木もふくめた五人がグローブを手にすると、それぞれが暗黙のうちに数歩下がった。ほどよい距離をとった五角形ができあがった。保奈美だけが体育館前の階段の一番下の段に腰を下ろして、皆の様子を眺めたいる。それだけで楽しそうに見えた。「じゃあ、いくぞ... 2025.01.05 小説
小説 『明日の私』第9章「合宿」(2) 「せっかくの休みにわざわざ合宿につきあってやってるんだから、しっかり勉強しろよ。どれ、俺もしばらくここにいようかな」 柏木はそう言って、自分も大広間の一画に別のテーブルを据えた。ノート型のパソコンを開いて何やら仕事を始めた。 『秘密クラブ』... 2025.01.04 小説
小説 『明日の私』第9章「合宿」(1) 盆明け、八月十九日の夕方から二十日の午後にかけて、合宿所で番外編『秘密クラブ』が開かれた。実家で盆を過ごすために帰省していた柏木が戻るのを待ってのことだった。職員室とは違って、合宿所にはエアコンがない。夕方から始めるのは、昼間の暑さを避けて... 2025.01.03 小説
小説 『明日の私』第8章「写真」(6) 私が食卓の端に置かれた新聞に手をのばすと、その下から一ページにL判の写真が二枚並ぶアルバムが姿を現した。私にとって見慣れたものだ。写真が趣味の一つだった父親にとって、美智子と私は格好の被写体だった。それぞれの誕生日やクリスマスといった家族の... 2025.01.02 小説
小説 『明日の私』第8章「写真」(5) 買い物をして家に帰った。 七時十分前。美智子が帰ってくるまでにはまだ時間がある。私は手早く食事の準備にとりかかった。人間は環境に慣れる生き物なのだとつくづく思う。時間に追われてあたふたとこなしていた家事が、時間に合わせて当たり前のようにこな... 2025.01.01 小説