同性、異性、年齢の上下。出会いから親交が深まるまでの間、相手との関係がどのような形に進展するのかを左右する要素はいくつもあります。複数の要素のうち、より多くの要素が満たされたからといって人間関係が深まるとは限りません。共通点にしろ相違点にしろ、たった一つの要素だけでこれ以上にないほど強い絆で結ばれることもあり得ます。皆さんはそんな経験をしたことがあるでしょうか。
その存在がふと腑に落ちてくるというか、沁み込んでくるというか、自分の中にすんなりと受け入れることが出来る相手に出会えることはごく稀です。だからこそ、幸運にもそんな相手に出会えたときの喜びは並大抵のものではありません。それこそ互いに「ソウルメイト」と呼ぶにふさわしい存在になる可能性があります。「ソウルメイト」を目の前にしたとき、私たちが無意識のうちによく陥るのが、自分について話し過ぎることです。相手が自分のことを分かってくれそうだと感じ取る器官が私たちの体のどこかには確実に存在していて、目の前にいる相手が「ソウルメイト」だと感じるや否や、自分のことを早く分かってもらいたいがために、つい矢継ぎ早に言葉を発してしまうのです。
「九月の四分の一」は、そんな相手に出会うことが出来た男女の姿を描いた短編です。小説家を目指す男性は数年に渡って十分な読書量をこなし、小説家たるに値する準備が整ったと思っています。ところがいざ原稿用紙を目の前にすると、せいぜい3枚程度の物語の断片しか書くことが出来ません。繰り返し試してみても状況は変わらず、今度は社会経験を積めとばかりに夜の街をあてどなく歩き続ける日々を送ります。そうして数年後、再び原稿用紙に向かいますが、状況はさらに悪化しています。書けていたはずの原稿用紙3枚ですら、埋めることが出来なくなっていたのです。そんなとき、旅先で一人の女性に出会います。男性はその女性を相手に、自分の置かれた状況を夢中になって話して聞かせます。そしてひと通り話し終えたとき、女性は男性に言います。「君は書ける」と。そのたった一言の励ましが、男性を救うのです。一方、女性も男性に自分の過去を話して聞かせます。こちらは男性の場合とは異なり、互いに時間を共有するなかで少しずつ少しずつ。そうすることで女性もまた、次のステップを踏むことが出来るようになっていくのです。「九月の四分の一」は、まさに「ソウルメイト」を探しあてた二人の物語だと言えるのです。
珍しく、率直に言わせてもらいます。皆さん、「ソウルメイト」を探す旅に出ましょう。旅と言っても、殊更に遠くに出掛ける必要はありません。これは心の旅なのです。たとえ「この人こそは」と思える相手に出会えなくてもかまいません。「ソウルメイト」を探す過程で、他人と話をする機会を作ることこそが重要なのです。たくさんの人たちと真剣に話をすることで、もしかしたら何か失うものがあるかもしれません。失敗することだってあるでしょうし、運が悪ければ恥ずかしい思いをすることもあるでしょう。しかし、それ以上に得るものの方がずっと多いはずです。誰にでも時間は等しく流れます。あなたが寝ている間にも、素晴らしい経験を積んでいる人はたくさんいるのです。相手と話をすることでその経験を少しでも分けてもらえるなら、こんなに幸運なことはないじゃありませんか。結果として、「ソウルメイト」に出会うことが出来れば幸いです。たとえそうでなくても、十分な価値を得ることはできるはずです。旅立つことは、自分がその気になりさえすればすぐにでも起こせる変化です。この文章を読んでいる今、あなたのそばに誰かがいるのなら、さっそく話しかけてみてください。きっといつもよりちょっとだけいい一日を作ることが出来るはずです。「九月の四分の一」はそんな旅への一歩を踏み出す勇気を、私たちに与えてくれる物語なのです。
25.『九月の四分の一』「九月の四分の一」 大崎善生著 新潮社 2003年4月24日発行
