7.『絵のない絵本』 アンデルセン著 矢崎源九郎訳 新潮文庫 平成22年6月10日第109刷

書評

 私たちは自ら本を選び、読みます。面白いと感じれば読み進めますし、そうでなければ途中で投げ出すこともできます。本に対する接し方はまったくの自由です。しかしその一方で、読み手である私たちの力の方が、本に、あるいは作家に試されていると感じることはありませんか? 私は往々にしてそのような経験に見舞われることがあります。「この言葉の意味は理解することができるか?」、「文脈を読みこなすことはできるか?」、「登場人物に感情移入することはできるか?」、「情景を豊かに思い浮かべることができるか?」など、問われる力の内容は多種多様です。
 時代を超えて読み継がれている本であればなおのこと、読み手である私たちの力を試そうと、その機会を狙っていると考えてよいでしょう。時間や空間をものともせず、多くの人々に受け入れられてきたということは、それだけ人々の心を動かす力がその本に備わっているということです。その本を楽しむことができないということは、読み手である自分のなかに何らかの力が欠如しているのではないか。そんな危惧を抱くことが私にはあるのです。『絵のない絵本』はごく短い作品をまとめた作品集です。新潮文庫の巻末に付された訳者である矢崎源九郎氏の解説によれば、一連の作品群が本にまとめられたのは1839年のことです。何と、今から183年も前のことです。これほど長い間世界中の人々に愛読されてきたということは、やはりこの本には読ませる力が十二分に備わっているのです。
 この物語は、若く貧しい絵描きがお月さまに語りかけられるところから始まります。お月さまは夜空から世界中を見ることができるので、夜に限られたものではありながら、様々な人々の様々な出来事を目の当たりにしています。それらの出来事を若い絵描きに語ってくれるのです。その物語の多彩なことと言ったらありません。愉快なものもあれば悲愴なものもあります。絵描きにとって身近なヨーロッパを舞台にしているかと思えば、インドや中国といった異国の光景も描かれます。それを文字という形で目の当たりにしたとき、読み手である私たちは頭のなかでどれほど豊かな色彩をもって、それぞれの場面を思い描くことができるでしょうか。『絵のない絵本』を読むことについて私たちに試されている力の一つは、まさにこの想像力であると私には思えるのです。
 『絵のない絵本』という書名は実に秀逸です。「物語の場面に合った絵を、自分なりに頭のなかに思い描いてごらん」という命題を、作者であるアンデルセンに突きつけられている。私にはそう受け取ることができます。読み手である私たちに十分な経験や集中力がなければ、色彩に満ちた、情感豊かな絵を描き切ることはできません。文字を絵に起こし切る想像力が、この本を読むにあたって我々がその有無を問われている力の一つなのです。しかし、想像力だけでは不十分です。頭のなかに思い描いた絵がどんなに素晴らしくても、それは物語の表層をとらえたものに過ぎないと思うからです。物語の場面に合った絵を描くことは、物語の背景を準備したことに過ぎないのです。もっと大切なことは、その背景のなかに生きる人々の思いに寄り添うことです。色彩豊かに描かれた背景のなかに、喜怒哀楽を抱えた人々の営みをどれだけ詩情豊かに自分のなかに喚起することができるか。そしてその感情に思いを馳せ、どれだけ自分のこととして受け止めることができるか。そんな想像力こそ、我々読み手が備えているかどうかを問われている力なのだと私は思います。

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