『明日の私』第14章「それぞれの道」(5)

小説

「誠には悪いけどさ、先生とやってる小論文、何だか楽しそうだよね」
 保奈美がそう言うと、誠は顔をしかめた。
「それ、ほんとにひどいよ。実際にやってる方はたいへんなんだぜ」
「私も楽しそうだなって思ってた。いろんなテーマについて考えるきっかけになって。政治だったり医学に関する倫理規範だったり、話してる内容がとっても勉強になるよね」
 私は誠と柏木が小論文のテーマに関して話している様子を見ていて、自分も一緒に指導を受けたいとすら思っていた。現実には『津軽長寿園』でのボランティアと家事とに追われて、それどころの話ではない。しかし時間もないくせに、何かを学び取ることに対する欲ばかりがふくらんでしまう自分が嫌いではない。
「確かにな。何か専門的なテーマについて先生と話すのは楽しいよ。こっちも一生懸命言葉を絞り出しながら書くから大変だけど、先生に指摘されると、ああ、そういう考え方もあるなって気づかされる。うまく書けたときにはすごく充実感もあるし」
 十を越える倍率を嘆いたときの誠の顔が、いつの間にか明るく輝いている。だからまた羨ましく思ってしまう。
 私は『秘密クラブ』のメンバーが互いに言葉を交しあっている様子を、ふと俯瞰している自分に気がついた。今自分たちが立っている場所が、あと一年もすれば当たり前ではなくなる。こんなにも愛おしい光景が、もうすぐ過去のものになってしまう。鼻の奥がツンと乾くような、小さな痛みが私を困らせた。

 学年が十クラスで編成されているうち、私が二学年次を過ごした進学コースの文系クラスは一つしかない。三学年も同様のクラス編成だから、進路を変更しなければ基本的にクラス替えはない。このため自分から理系や就職に進路を切り替えた三人以外は、クラスメイトの変更はなかった。ほぼ同じ構成メンバーで最終学年に突入することができ、それぞれが口に出さなくても皆の安心感につながっていたように私には見えた。コースの特性上、二年間にわたって学習指導と進路指導を行うことが望ましいと考えられていたために、担任は当然のごとく柏木になった。クラスの全員が柏木が引き続き担任になることを当然視していたが、どこかにまさかという思いもあった。いざ正式に発表されるまでは、柏木が担任を下りるかもしれないなどという憶測がまことしやかにささやかれたり、はたまた柏木が他の私立高校に引き抜かれるかもしれないなどという噂が流れたりで、そわそわと落ち着かない雰囲気に包まれていたのも事実だ。柏木の続投を望む思いが強すぎたためか、生徒たちは根拠のないうわさに翻弄された。クラス割の発表の際に自分たちの名簿の上に柏木の名前があるのを発見して、誰もがほっと胸をなでおろした。
 新しい年度が始まり、様々な学校行事や毎朝のホームルームに柏木の姿がないことなど想像すらできない私にとって、噂は単なる噂でしかなかった。柏木は私のような手間のかかる生徒を放って他のクラスの担任や担任以外のポジションに就くことなどあるわけがないと、心のどこかで確信していた。いざ柏木が担任になることが明らかになると、周りの生徒たちにそれ見たことかと、自分の揺るぎない確信をひけらかしたくなるのを抑えるのに苦労した。

タイトルとURLをコピーしました