四月に三年生になったかと思うと、瞬く間に夏休みがやってきた。初めて『秘密クラブ』のメンバーが顔を合わせてから丸一年。私は推薦入試までの約三か月間を、これまで通り『秘密クラブ』と『津軽長寿園』で過ごす時間を有効に使いながら走り切るつもりでいた。
夏休みには十日間の講習が組まれた。各大学のオープンキャンパスも数多く予定されていたため、残念ながら前の年のような合宿を張ることはできなかった。私はセンター試験対策を前提とした特別な学習の日程を組んではいたが、あくまでも一般推薦がメインだ。時間的な余裕をもたせることも忘れなかった。学習にあてる時間以外に、美智子と接する機会をもつことも忘れなかった。
金銭的な面で贅沢することなど許されるはずもなかったが、ちょっとしたレストランに美智子と二人で食事に出かけたり、近場の温泉に出向いて肩を並べて湯につかったり。気軽に楽しめる手段はいくらでもあった。美智子を誘って手近なレジャーを楽しむことは、私にとって何よりの安らぎになった。それは私の心身をくつろがせると同時に、美智子に対する一定の役割を果たすことによる達成感を私にもたらした。美智子が家計を支えることを役割としているように、私は自らの立ち位置を、たった二人だけの家庭を幸せなものにすることに置いていた。その役割を果たせていることの証として、美智子の笑顔が必要だった。
もしかしたら自分勝手な思い込みに過ぎないのかもしれないと、時々思うことがある。
父親が家を出たことによって、美智子がどれほどの精神的なダメージを負っているかなど、母娘ではあるが別人格の私に分かるはずもない。それを勝手に重いものだと解釈し、美智子に対してあれこれと世話を焼いている自分がいる。本来ならば母親が、父親を突然失った哀れな娘に心を砕くべきなのではないか。一度は愛し合って結ばれた仲だとはいえ、夫婦は血のつながらない他人同士に過ぎない。しかし親子である私にとって、父親の不在は血のつながった肉親を失うことにほからない。そんな娘をいたわるような言葉をかけるぐらいのことをしても決して罰など当たらないだろうに、美智子に限ってはそんな素振りを見せはしない。
美智子を弱い者、自分を強くなろうとする者と勝手に位置づけ、偽善者ぶって苦労を背負いこみすぎているのではないか。そう思ってしまう。
これはある種のストレスでもある。積もり積もったあるとき、突然の爆発をきたすのではないか。行く先を考えれば不安がないとは言い切れない。しかし、今はまだその存在に気がつかないふりをして、そっと仕舞いこんでおこう。そう心に決めていた。自分の未来のために、やらなければならないことは山ほどもある。
『明日の私』第14章「それぞれの道」(6)
