43.『砂の女』 安部公房著 新潮社 平成20年6月5日64刷

書評

 昆虫採集のために砂丘へと出掛けた男が、砂に埋もれた海辺の集落に迷い込みます。そして砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められ、その家に住む女との奇妙な共同生活を強いられることになります。砂穴の一軒家に閉じ込められた男の生活は、常識とはかけ離れた、現実的にはありえないものです。刻一刻と家を吞み込もうとする砂との戦いは途方もなく、現実的にはそんな環境下にある家などとっとと放棄して、他の家や土地に移り住むことを選ぶのが賢明でしょう。しかし、脱出を試みる男の行動は、家を守り抜こうとする女や地域住民の妨害にあい、ことごとく失敗するのです。男は仕方なく、絶えず家を押しつぶそうとする砂を外に掻き出す作業に追われるという、不思議な生活を送ることになります。しかし、物語の設定がどんなに不思議なものであっても、場面の描写がとても写実的なために、それこそ不思議に思えるほど強い現実感をともなって物語を読み進めることができるのです。
 物語の前提条件がとても閉鎖的なために、その閉鎖性を維持するために物語の進行が妨げられ、途中で飽きてしまうのではないかと思いながら読み進めました。しかし、場面の描写力によって出だしから最後まで読者の関心をぐいぐいと引き出すことに成功しているため、私自身の中にも、ひと息に読み切ってしまったような感覚が残っています。また、まるで推理小説のようなスピーディーな展開も、読者を飽きさせないことに大きく貢献しています。読者の関心は、男が砂穴から脱出することができるかどうかに向けられていきます。砂穴から脱出するために、男は考え得るありとあらゆる手段を講じます。しかし、女や地域住民の妨害にあって脱出がうまくいかないことは、先にも述べたとおりです。この物語で見逃してはならないのが、繰り返し脱出に失敗する男の心情の変化です。脱出に対する希望を失わずに砂に挑み続けるのか。または脱出を諦めて新しい環境に順応しようとするのか。この男の行動の方向性を見極めたくなり、ついついページを繰ってしまうのです。
 この物語のもうひとつの特徴は、豊かで的を射た比喩的表現の多様です。例としていくつか挙げてみます。まずは「鶏の声」について。「錆びたブランコをゆするような、ニワトリの声で、目をさました」「牛の喉にブリキの笛をおしこんだような音をたてて、どこかでにわとりが鳴いた」(「ニワトリ」と「にわとり」がそれぞれ用いられています)。どうですか? 砂に埋もれた家で目覚める瞬間の、男の負の感情が端的に表されているように思えませんか? それではもうひとつ。今度は「疲労」について。「疲労が目の奥で、淡い光の点になって、飛びまわる」。砂を掻き出すという毎日繰り返される無益な労働が、主人公の精神を壊し始めている様子が見事に表現されているように思えます。有無を言わせぬ虚ろさが、しみじみと伝わってくるのです。巧みな比喩的表現によって、この物語がもつ本質が見えてくるようにさえ思えるのです。
 男は、かつての生活に戻りたいとは思いながらも、その生活がどんな意味をもっていたのかとの自問に答えられなくなってしまいます。むしろ否定的な視点をもって、かつての生活を眺めるようになっていきます。例えば依然就いていた教師という仕事について、川の流れの比喩を用いてこう表現します。「じっさい、教師くらい妬みの虫にとりつかれた存在も珍しい……生徒たちは、年々、川の水のように自分たちを乗り越え、流れ去っていくのに、その流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならないのだ」。自由な立場にあった男が、砂穴の家での生活を強要されたことによって、しだいに現実の生活(砂穴の家での生活)を受け入れていくようになるのです。このように、生活環境に左右される姿こそが、人間のひとつの象徴なのです。『砂の女』はフィクションの手法を取り入れながら、あらゆる人間の内面に潜む環境への順応という名の諦めを描いた作品だということができるのではないでしょうか。あなたは、日々の生活の中で何かを諦めてはいませんか? 物語の主人公である男は、最後まで脱出を諦めてはいません。「逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである」という一文で、物語が閉じられているのですから。

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