倉科が勤める、あるいは椿が通っていた学校に、その電話は掛けられた。椿が姿を消してから二週間ほど経った、二〇〇五年の四月の下旬だった。
貴学に在学していた川村椿は、こちらに転校することになりました。つきましては、手続きに必要な一連の書類を送付していただきたい。倉科に回された電話によって、受話器の向こうの相手はそう告げた。この転校は、真理亜失踪後の実質的な椿の保護者である、貞一の了解を得て実現されたはずだ。依子が知らないはずはない。七年後、依子は倉科に対し、椿の転校先を知らないと答えた。その言葉に嘘が含まれていることは、七年前のこの電話から明らかだ。
七年前、電話を受けた倉科は混乱した。辛うじて口をついて出たのは、椿がこれから住むことになる場所を訊ねる言葉だった。
「彼女はこれから『花庵』という福祉施設に身を寄せ、そこから本学に通うことになります」
花庵。後ほどゆっくり調べるために、倉科はメモ用紙に大きくその名を刻んだ。
通話相手に花庵という名の字面と所在地とを訊ねると、東京都八王子市内の地名を教えられた。そこにどんな過程があったのかは分からない。ただ結果的に、川村椿は花庵という名の施設に身を寄せることが出来た。おそらく、その福祉施設と学校との間には、何らかのつながりがあるのだろう。
インターネットとは便利なものだ。たとえ上辺だけの情報だとはいえ、ホームページを見ることによって花庵の概要を把握することが出来た。
花庵はある篤志家が出資して、椿が入った数年前に設立されていた。篤志家の意図は、キリスト教主義に基づいた慈善事業のひとつの形として、身寄りのない若者たちに大学卒業までの生活費と学費のすべてを支援するというものだった。
この篤志家は在日韓国人の家系に生まれ、並々ならぬ苦労の末に事業に成功した。その成功を自分のものとしてだけでなく、能力があるものの環境に恵まれない若者たちに分け与える方法のひとつとして、花庵の設立を思いついた。入所者を同じ在日韓国人にもキリスト教主義者にも限定することなく受け入れ態勢を整えたことに、彼の心の広さがうかがえる。
七年前。名前だけを記憶に焼き付けた施設を、倉科は今になって訪れる機会を作ることを決めた。
一戸達樹が殺害された今、彼が守ってくれと口にした川村椿が同じような危険に見舞われる可能性は否定できない。達樹に椿を守るという約束をした以上、少しでも確かな情報を得ておきたかった。
『永遠の花嫁』第二章「粉雪」A9
『永遠の花嫁』