百日紅16

小説

 私はふと、二人並んで歩き去る小さな背中を思い出した。そして優斗に、雅臣君は一緒ではなかったのかと尋ねた。一緒だったと答える優斗に、今度はお父さんが雅臣君は今どうしているのかと、問いを重ねた。
「まだプールの中」
 優斗の震える唇からその答えが返ってきたときのお父さんの顔が忘れられない。おそらく驚きと怒りと不安が入り混じっていたのだろう。その表情から複雑な胸の内が見て取れた。いつも穏やかなお父さんからは想像もつかない、それまで一度も見たことのない顔だった。
 お父さんはそのままスニーカーをつっかけて外に飛び出した。事の異常さに顔色を失くしたたける美代子みよこが、玄関でその様子を見ていた。私は優斗の服を脱がせて温かいシャワーで体を温めるよう、早口で二人に頼んだ。その後、お父さんを追いかけて私も高校のプールに走った。
 私の視線の遠く先で、お父さんがプールを囲む塀に向き合っているのが見えた。子どもたちがそうするように、ブロック塀の一番上に手をかけてぐっと体を引き上げた。塀の上に立ち、さらに高い位置に渡された有刺鉄線をまたいで塀の向こう、プールサイドに飛び降りた。私はお父さんのそんな身のこなしを見たことがなかったから、また驚いた。久しぶりに走った私はもうすでに息苦しさに喘いでいたけれど、その後のお父さんの行動を塀をはさんだ外側から見守った。必ず私の手伝いが必要になることを疑わずにそこに待機していた。
 雅臣君はプールの真ん中にいた。雪がうっすらと積もった氷の上に両肘を出して何とか体重を支えながら、人形のように青ざめた顔だけを外に出していた。その光景を目の当たりにして、私の体からもすっと血が引いた。
 雅臣君を水のなかから引き上げ、凍え切った小さな体を抱いたまま走って彼の家まで送り届けたのは、お父さんだった。

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