蓮花3

小説

 緊急事態宣言下、収入を絶たれた飲食店の経営者達がどれほど先行きの見えない不安な日々を送ったか、想像に難くない。不安は現実のものとして彼らの経済を直撃したし、店を手放す者たちの嘆きが世に蔓延していた。実際に、祐子と二人でこれまで定期的に通ってきた飲食店や、一度は訪れたことのある有名店が次々と倒産の憂き目に遭っているとの情報を日々耳にした。そして自分もまた同じ境遇にあることを思い知らされた。
 公共施設や個人住宅の設計も、リフォームも手掛けてきた。日々遣り甲斐を感じてきた建築士としての仕事について、コロナウィルスの感染拡大によって受注数を維持するのが難しくなることなど予想もしていなかった。
 決して恵まれていたとは言えない家庭環境で育ったことから、何か揺るぎない技術を身に着けることを目指す必要性を感じてきた。その答えの一つとして、必死に勉学に励む方法を選んだ。
 知識はどんなに長い時間持ち続けていても、古くなることはあるが腐ることはない。
 誰かの受け売りだったとは思うのだが、その通りだと納得して多くの時間を学習に費やした。
 小中高等学校へと進学していく過程で学び取らなければならない学習内容は、個々の児童生徒の差を認めない画一的なものだ。そんな教育内容が果たしてどこまで世界の国々との競争力をもつのかという議論はよく行われるところだが、学ぶべき内容そのものに隔たりがないことには大いに助けられた。父親がいない、母一人子一人の家庭環境から塾に通うような経済的な余裕こそなかったものの、誰にでも平等に与えられている時間という財産を最大限に活用することができただけでも恵まれていた。
 学費には奨学金を充てなければならなかったが、それでも大学の建築学部に進学するところまでは、目指していた通りの進路を歩むことができた。その先にさらなる努力を重ねた結果、国家試験に通って一級建築士の資格を取得することができた。
 安定して仕事を得ることができていたはずなのに、今や家を新築しようとする価値観そのものが萎えているという。かつて自分が所属していた設計事務所の経営者一家や後輩たちの嘆きを耳にし、同情する半面、問題に直面する前に定年を迎えることができた事実を幸運に思いもした。

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