『明日の私』第2章「赤い川」(4)

小説

 十一月半ば、私は退院した。
 事故後初めて登校した日。事情を知っているクラスメイトたちが、私が教室に入るなり明るく声をかけてくれた。これからの学校生活を少しでも気兼ねなく過ごすことができるようにと配慮してくれていたのだろう。それに対して、私は力のない微笑みを返すことしかできなかった。
 三カ月の入院は、私を心身ともに疲れやすくしていた。この状況から抜け出すためには、入院していた時間の何倍もの期間を要することになるだろう。体のどこにも力が入らないような気だるさが、ずるずると私の足元に引きずられていた。
 放課後、体育館に向かった。
 その空間に近づくにつれ、埃なのか汗なのか、あの独特の匂いがぐっと迫ってくる。それにともなって靴底のゴムが体育館の床をキュッキュッとこする音が私の鼓膜を刺激した。嗅覚と聴覚への刺激が強まるにつれて、体育館の空気のなかに自分の体が透明になって溶け込んでいくような錯覚を覚えた。
 体育館の入り口の前で立ち止まった。目の前にそびえたつスチール製の重い扉を手前に引きさえすれば、そこにはもう何カ月もの間思い焦がれてきた空間が広がっているはずだった。入院以前の記憶を頼りにその空間を懐かしく思い出しながら、深く息を吸って呼吸を整えた。二つ目の息を吐き終わる直前に、思い切って扉を引いた。
 パッと視界が広がった。
 光をはらんで、てらてらと美しく輝くフロア。その光を、細かな粒子にして弾き飛ばすように叩きつけられたボールの音。選手の視界を守るために、整然と張り巡らされた暗幕のぬめりとした重さ。
 乾いた体に水がすっと染みわたるように、瞬時にして脳に溶け込んでいくような見慣れた光景が私を包みこんだ。
 同級生の一人が私の存在に気がついた。そして「あっ」という小さな驚きを表す形に口を開けたまま、私を凝視した。その視線に気がついた他のメンバーが、手を止め足を休めて次々と私に視線をそそいだ。
 しかし、誰も駆け寄ってこない。ただ立ち尽くしている。
 私は体育館の壁にそって歩き出した。
 佐藤のもとに大きく足を引きずりながら歩く私の姿を、皆が視界にとらえているのを感じる。不器用に松葉杖を使いながら、左足を踏み出したあと、それにすり寄せるように右足を引きずらなければ前に進めない私の姿を目の当たりにして、皆が言葉を失っている。

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