『明日の私』第6章「馬鹿」(2)

小説

 一時ちょっと前に学校についた。自転車を降りて昇降口に向かった。下足箱の前にしゃがみこんで靴を履き替えている影が見えた。保奈美だった。
「保奈美」
「あっ、美夏。ちょうどよかったね」
 保奈美は垂らせば肩甲骨の下までとどく長い髪を高い位置で束ねていた。ポニーテールにまとめきれない首筋のおくれ毛が、白い肌にふわふわと踊っていた。
 つい二日前まで同じ教室で一緒に通常授業をこなしていたのに、夏休みに入ったというだけで小さな懐かしさを覚えた。
「それにしても暑いね。自転車をこぎながらくらくらしちゃったよ」
「今日学校に来たのって、やっぱり良かったかもよ。エアコンが効いてるって聞いただけで、汗がひくような感じがするもん」
 私は保奈美と連れだって職員室に向かった。階段を上がって二階にさしかかると、二人のクラスメイトに遭遇した。
「あれ、どうしたの?」
 二人のうちの一人、川村哲也かわむらてつやが私と保奈美の存在に気づいた。
「『秘密クラブ』」
 保奈美は歩きながら、例のゆっくりとした調子でそう口にした。
「えっ、そうなの?」
 哲也が目を見開いて驚いた。
「俺たちも今ここで会ったんだけど、『秘密クラブ』に勉強しに来たんだ」
 哲也と一緒にいた田中誠たなかまことがつけ加えた。
 メンバーは四人になった。哲也と誠と保奈美、そして私。まるで申し合わせたかのように同じタイミングで集まった四人は、各自が勉強道具を詰めこんだ鞄をもって職員室の前にたどりついた。
「失礼します」
 何となく先頭に立ってしまった哲也がドアをノックした。一般的には学級委員長と呼ばれるクラス内の役割を、私の学校では議長と称した。哲也は私のクラスの議長だ。その主な役割の一つに授業の開始と終了の号令がある。成り行きとはいえ、このときにも最初の挨拶の声を発したのは哲也だった。「失礼します」の歯切れの良い発音が、授業開始時の号令と違わない勢いだったことが、その場に居合わせた皆を笑わせた。
 四人はすでに汗ばんだ体を引きずりながら、職員室に入った。その瞬間、つんと澄ました空気が漂ってきて、四人をひんやりと硬い冷気のなかに導いた。皆が一瞬にして「おっ!」という顔つきになり、にわかに眉間の皺が消え、頬の筋肉が緩んだ。
 職員室では柏木が自分の机で本を読んでいた。冷房の効いた部屋で読書をする、さも快適そうなその姿にちょっとした羨望を抱いた。しかし、自分もすぐにこの空間の住人になるのだ。そう考えた私の頬も、自然と緩んでしまっていた。

タイトルとURLをコピーしました