私はまた、自分の胸が静かに熱を帯びていることに気がついた。春の陽光に照らされた海のように温み、しんと凪いでいるのを感じていた。心のどこかにいつも抱えこんでいた苛立ちが、小さな板切れになって大海原にぷかぷか浮いているように思えた。自分は途方もなく大きく、真っ白な客船の甲板に立ち、その板切れを他人事のようにぼんやりと、感情を揺さぶられることなく眺めている。実際には夏の夜気の中に身を置いているというのに、感覚は不思議と空と海の碧の中にあった。
「先生、私、その感覚すごく分かるような気がします。私も、何だかうまくいかないことばっかりで」
あおむけに横たわっていた柏木が、また胡坐をかいた。
「だって、お前んとこの親はまだ若いだろ?」
「いえ、置かれた状況が同じだってことじゃなくて。自分が決めたことを守れていないときのもやもやした感じが」
私は半分だけ嘘をついた。父親の顔が頭に浮かんでいた。
柏木は真っ直ぐに私を見た。その眼差しが、いつも私に向けられているものとは明らかに違っているように思えた。私は自然とその目を見返していた。
「親父が死ぬとき」
「え?」
「多分、俺は看取ってやれないだろうな」
「……」
「こう離れて住んでると、すぐに駆けつけるってわけにもいかないだろうし」
「……」
「むしろ親父には、そんなのが似合ってるような気がする」
「……」
「あっ、ごめん。変な話になっちゃったな」
柏木は私の涙に気がついたのだろう。声の調子を明るくした。
私は自分でも気がつかないほど静かに、涙を流していた。何かを失くしかけれいる自分が寒かった。ふと、煙草の匂いが鼻先をかすめたような気がした。
「だけど大丈夫。俺は今、これから大切な人生を少しでも力強く生きていこうともがいている若い人間たちに関わってる。やれることを全力でやってやんなくちゃな。だから、一つのことに振り回されてばかりはいられない。ただときどき、自分の力の無さにやりきれなくなる。それだけ。ごめんな、こんな話につきあわせて」
柏木は小さく笑った。
『明日の私』第9章「合宿」(10)
