『明日の私』第9章「合宿」(11)

小説

 私は手の甲でそっと涙を拭った。そして、いいえと低くつぶやいた。
「美夏ーっ」
 遠くで保奈美が私の名前を呼ぶ声がした。私はつと立ち上がって物干し台の上がり口から廊下に顔を出した。
「保奈美、今そっちに行く」
 一本の廊下の反対側の端で、私の姿を探していた保奈美が声に気づいて振り向いた。私は彼女に手を振って見せた。それから体の向きを変えて、もう一度物干し台に残された柏木に正対した。
「先生、また後で。お邪魔しました」
 私は迷いながらも、柏木の背中にそっと手をそえた。真夏の夜空の下で、凍えた背中をほんの少しでも温めたかった。そして物干し台から廊下に飛び降りた。一瞬だけ、身体が空気を切り裂いた感触が走った。ほんの二、三十センチの高さだ。それなのに、うまく飛び降りることができた事実に妙な達成感を覚えている自分がおかしかった。
 大広間にいたはずの四人が、揃いも揃って廊下に出ていた。
「どうしたの? みんな」
 私が駆け寄ると、四人はにやにやと、いかにも何かを企んでいるような含み笑いを浮かべた。
「ねぇ美夏、先生も入れてちょっとだけ遊ぼうよ」
 保奈美が言った。
「そうそう、気分転換に」
 哲也が続けた。
「えっ、何して?」
 私の問いに、勇児が後ろに回していた手を前に出した。
「夏はやっぱりこれでしょ」
 そこには手持ち花火のセットがあった。
「うわぁ」
 私は思わず声を上げていた。そしてくるりと踵を返し、もと来た廊下を走った。
「先生を呼んでくる」
 そう言いながら走り出した私は、振り向いてもう一度四人を見た。皆、一様に笑顔だった。
 

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