いつも山があった。
晴れていればその姿が一日に何度も視界に飛びこんでくる。激しい雨に空が煙っていても、その形をあるべきはずの場所にいつでも思い描くことができる。見えていてもいなくても、山はいつでもそこにあった。
頂から深く切れこんだいくつもの窪みが雄々しくないとは言えないが、裾野にいたる稜線はじつに伸びやかで、たおやかだ。まるで薄墨を刷いたようにすべらかな線がほぼ左右対称に空を切り分けるものだから、胸のすくような清々しさを目に覚えさせる。
私は物心ついたころからこの山を見て育った。その存在自体が当たり前になっているけれど、見ていてけっして飽きることはない。それはこの山の姿が、人間が本来もっている美意識に触れているからかもしれない。
岩木山は雪解けや雨後の水の流れを集めていくつもの川を織りなし、ふもとに点在する町々に多くの恵みをもたらす。岩木川とその支流は津軽平野を豊かな田園地帯として育み、そこに住む人々の生活を潤してきた。私もこの地域の歴史のささやかな一部として生を受けた。
その日も、玄関わきの軒下から自転車を引っ張り出し、美智子と「行ってきます」の挨拶を交わそうとして玄関を振り仰ぐと、その向こうにまだ頂付近に雪をのせた岩木山がどかりと座っているのが見えた。私は空の眩しさに一瞬目を細めてから、自転車のペダルをこぎだした。
JRの沿線を走る通学路は、住宅街を突っ切って真っ直ぐに伸び、見通しもいい。途中、二つの十字路を経由して、緩やかな左カーブを通過する。そこを過ぎればあとは何も視界をさえぎるものはない。田んぼの間に伸びる農道をひたすら行けば学校にたどりつく。
二つの十字路にはどちらも信号がない。四方が一時停止を義務づけられ、さしかかった車は交互に譲りあいつつ順番を待って横切る仕組みになっている。当然、自転車も車と同じルールに従うべきことは知っていたが、ペダルをこぐのをいったんやめて地面に足をつくのは面倒だ。ドライバーの常識に甘えて自分は一時停止することなく、するすると横切ってしまうのが常だった。
七月の後半、夏休みも間近に迫った、ある晴れた日。いつもの時間、いつもの道。二つ目の十字路にさしかかる手前で、私はあるものに気がついた。
交差点の先の左手には、砂や石が山をなす砂利置き場がある。様々な工事現場から運びこまれたものや、その反対に運び出されていくものの集積地なのだろう。砂利の山には割れた煎餅のような板状のアスファルトがごろごろと含まれているものや、大小それぞれ均一の石だけを積み上げたものがあった。時々ショベルカーが山を崩したり新たに積み上げたりをくりかえす姿を見てきた。なかには長期間にわたって放り出されたままのものもあり、夏の盛りの今は茫々と雑草に埋め尽くされている。スギナやイネ科の雑草がわれ先にと山の表面の勢力争いに精をだすなか、どこから運ばれてきたのか、先月、六月までは水仙の株が数箇所に黄色く可憐な花を咲かせていた。