『明日の私』第10章「保奈美」(2)

小説

「美夏ーっ」
 自転車をこぐ足を止めて声に振り返ると、道の向こうに保奈美の姿が小さく見えた。美夏は自転車を降りて保奈美を待った。小柄な彼女の足が、せかせかと自転車をこいでいる。その光景は早回しのフィルムを見ているようで面白かった。
「保奈美、どうしたの?」
 保奈美の額に玉の汗が浮いている。美夏は不安になった。はあはあと荒い息に合わせて華奢な肩が上下に大きく揺れている。
「どうしたの?」
 もう一度同じ問いを繰り返してみる。
「ごめんね、帰るところだったのに。少しでいいから、ちょっとつきあってもらえないかと思って」
 二十センチ以上の身長差がある。保奈美が私を下から見上げる格好になった。
「いいけど、どこに?」
「私の家。すぐそこだから」
 保奈美は私の返事を待たずに、自転車をひいて歩きだした。ここからしばらくは帰り道が同じはずだ。やがて私が真っ直ぐに進む道を、保奈美は途中から左折して帰ることになる。この先にある大和沢川おおわさわがわから左に折れて土手の砂利道に入ると、もっと早く彼女の家にたどり着くことができるのではなかったか。
 川にかかる橋は二本ある。私も保奈美も、通学にはどちらの橋を利用しても学校までの距離に違いは出ない。毎朝学校に通うときには、途中から同じ道を通学路にすることもできる。しかしこれまでのところ、別の橋を渡っていた私と保奈美が、互いに申し合わせて登下校をともにすることはなかった。特に相手の生活に関わらないようにしようとの意識が働いていたわけでもない。ただ、二人が出会う以前の生活のサイクルを崩そうとは思えなかっただけのことだ。
「ごめんね、突然。すぐに済むから」
 歩きながら振り返った保奈美の表情がいつも通りに柔らかいものだったので、私は少し安心した。ただ、言葉が少ない。その背中にも、それまでには見たこともないような緊張が貼りついていた。
 保奈美は私が思っていた通り、大和沢川の手前を左に折れて砂利道に入った。ここから先、保奈美の家の具体的な位置を私は知らない。桜の木々や畑を土手の下に見やりながらしばらく進むと、軒の低い家々が連なった一画に出た。眼下に寝そべるように規則正しく連なる家々はどれもまったく同じ形をしていて、例外なく屋根が古く、歪んでいるのが心細い。その一画にさしかかると、保奈美は自転車のハンドルの向きを変えて土手を斜めに走る小径を下りた。いくつ目の軒を過ぎたのか分からなくなったころ、保奈美はそのうちの一つの前で足を止めた。
「ここ」

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