『明日の私』第10章「保奈美」(5)

小説

「てことは、美夏も地元の国公立志望?」
「うん。国立に行ければいいなって思ってる」
「難しそうだね」
 変になぐさめるようなことを言わないのが保奈美のいいところだ。
「ほんと、頑張んなくちゃね」
「何学部?」
「それがまだ。将来やりたいことがまだ分かんないんだ」
「そこが決まってないのに、大学だけは決めてるの?」
「うん。おかしいよね?」
「うん。おかしい」
 二人で笑った。ひと通り笑い終えると、保奈美は私の目を真っ直ぐに見つめた。そして、深くほほ笑んだ。
「私、初めてなんだ。こんなふうに進路の話するの。それより、誰かに家を見せたのも。怖くって、今まで誰にも見せられなかった」
 私は何も言えなかった。言葉が必要だとは思えなかった。ただ、保奈美の言葉を聞いていてあげたかった。
「お父さんはとりあえず家に帰っては来るけど、いつ仕事に行ってるのかも分かんない。少ないけど毎月必ず口座にお金が振り込まれてるから、仕事は続いてるんだと思う。でも、それだけ」
「お母さんは?」
「もう八年になるかな。出て行ったっきり。それこそ、生きてるのか死んでるのかもさっぱり」
 風がごうと吹いた。保奈美が目をつぶった。髪がさらさらとなびいている。保奈美の小さな耳たぶがあらわになった。私はそっと手をのばし、その小さなふくらみを人差し指と親指でつまんだ。驚いた保奈美が目を開き、私を見た。
「保奈美、ありがとう」
 私はそう言って笑った。
 保奈美も私にほほ笑み返した。そしてちょっと口ごもってから、言った。
「昨日と今日、とっても楽しかった。何て言ったらいいか分かんないくらい、とにかく楽しかった。楽しくて楽しくて、現実に引き戻されるのが嫌で、一人であの部屋に帰ってくるのが嫌で。もう少しだけ誰かと一緒にいたくて。美夏なら分かってくれるかなって思ったの。ごめんね。こんなことにつきあわせて」
 無理に笑おうとした保奈美の顔は、今にも崩れてしまいそうだった。
「保奈美、ありがとう。私ね、友達なんかいらないってずっと思ってた。でも、実はいろんな人に支えられてるんだよね。そういう人たちを友達って呼んだら、いっぱいいるんだなって思えた。私もね、この合宿がとっても楽しかった。保奈美となら、これからも色んな話ができそう。これからも、いっぱい話そうね」
 私は自分の言葉に嘘がないことを確かめながら話した。今ではない。今ではないが、近いうちに今度は自分が、家族の話をすることになるのだろう。そう思った。

タイトルとURLをコピーしました