『明日の私』第10章「保奈美」(6)

小説

 家に着くと、美智子が玄関先にまで迎えに出ていた。
「ちょっと遅かったね。もうそろそろ来るころかと思って外に出てみたの」
 私はアパートの駐輪場に自転車をとめた。陽の光がまぶしすぎてうつむき加減に視線を落とした私からは、美智子の表情をうかがい知ることはできなかった。
 気持ちを、切り替えなければならない。私は顔を上げた。
「ただいま。もうお腹が空いて死にそう。早くご飯にしよう」
「そうめんを茹でようと思ってたの。どう?」
「うん、いいね」
 美智子は先に家に上がるよう私を促し、自分はそのあとに従った。たかだか一泊二日の合宿だ。留守にしていたのはほんの少しの間だったのに、家そのものがとても懐かしく思えた。
 南側に面した玄関は、幼かったころと何の違いもなく私を迎え入れてくれた。何度も繰り返されてきたオンとオフのために手垢で黒ずんだ室内灯のスイッチさえ愛しく思えた。
 しかし、はたと気がついた。「あれっ」と、声を出しそうになった。
 何かが違う。
 その違いが何に由来するものなのか、初めはまったく思い至らなかった。だが、やはり何かが違う。それは間違いがない。私はそれとなく部屋を見回した。
 臭いだ。
 嗅ぎ慣れたようなそうでないような、知らないようでいてよく知っているような。そんな臭いが空間全体にうっすらと漂っていた。
「どうかした?」
 何の臆面もなく美智子が私の背中に声をかけた。
「あっ、ううん。何でもない」
 私は振り向いて答え、靴を脱いで家に上がった。

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