『明日の私』第12章「三者面談」(4)

小説


「さっきはどうやって公社の預金を増やすかってことについて話したけど、増えた分の金は社会基盤の整備に使うべきものだ。一般企業は利潤の追求が最優先だから、当然のことだけど金にならない仕事はしたがらない。だからこそ国は、少子高齢社会の問題や低成長社会に向けた、新たな社会基盤の整備にこの資金を使う必要性が高い」
 柏木の説明には、容赦なく専門用語がはめこまれた。「出来る教師」を見極める基準の一つに、難しく分かりにくい専門用語を簡明な言葉に置き換えて説明することができるか否かがあげられる。この基準に照らしあわせれば、柏木は「不出来な教師」の代表選手ということになるのかもしれない。しかしどんな話し方をされようとも、この世に専門用語が存在することには変わりがない。いずれ専門用語に出くわして頭を悩ませることになるのなら、いっそ早い方がいい。分からない言葉が出てきたらその場で相手に訊けばいいのだし、一旦もち帰って思う存分調べることもできる。たとえ柏木が言葉を咀嚼して与えてくれなくても、自分で調べることを繰り返した結果、私はある程度柏木の話についていくことができるようになった。学ぶということを突き詰めれば、結局は自分で調べるというところに行きつく。私はそう信じるようになっていた。
 柏木にしてもおそらくそこまでを計算に入れて、生徒たちに接していたのだろう。すべてを言葉で言い尽くさず、言葉の端々に自分で調べることを促す一言をつけ加えること。そんな小さな労を惜しまない彼の姿を見るにつけ、一貫して揺るがない価値観のなかで強く生き抜こうとする人間の在り方を見せつけられたように思えた。

 九月下旬に実施された二学期末試験から、私の成績はぐんぐん上昇し始めた。五段階評価で三だった教科が軒並み四に上昇し、評定平均値は四.一を記録した。中間試験での惨敗が嘘のような結果に一番驚いたのは私自身で、二番目は柏木だったのではないだろうか。彼はその変化を、「アホがまともになってきた」と評した。
「美夏はよく頑張ったな。きちんと結果を出したんだから立派なもんだ」
 アホなんて、言葉の選択がちょっとばかりきついところはあるものの、私にとって柏木の言葉は格別の味わいを秘めた南国の果実のように甘かった。私の学習に励もうとする意欲にますます勢いがついたことは言うまでもない。
 その一方で、私の今後の学習の在り方に新たな視点を設定することも、柏木は忘れていなかった。課題を一つクリアしたかと思えばまた次の課題が生まれる。学習にしろスポーツにしろ、何に関しても同じことが言えるのだろう。それでも、前に進み続けなければならない。私はさらなる柏木の言葉に意をそそいだ。
「定期試験の結果はあくまでも学内の基準をどこまで達成しているかの確認でしかない。軽く見てもいいわけではないけど、学内の順位を決める役割に限られているのは確かだ。学内からどの大学に誰を推薦するかを決定する目安にはなるが、それ以上ではない。センター試験や大学の二次試験に対応した基準とは到底言えない。試験による大学受験に対する実力が身についているかどうかは、模擬試験でこそ試される。これからの三者面談を通じて話していかなくちゃならないことだけど、手遅れになると困る。美夏は志望大学が見えているから、あとは受験の機会を増やすのが課題だ。推薦入試にもAO入試にもセンター試験にも対応できるような準備をしておく必要がある。その中でもセンター試験の受験準備には時間も労力もかかる。今後はしっかりと準備したうえで積極的に模擬試験を受けて、着実に実力をつけるようにしよう」
 その通りにしてみようと、私は思った。

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