『明日の私』第12章「三者面談」(7)

小説

 「弘前城都大学を推薦で受験するって言っても、狙う学部によって話はだいぶ違ってくる。どこを受けたい?」
 ようやく口を開いた柏木は、眉間に皺を寄せていた。
「教育学部です。中学校教育専攻の社会専修です」
 柏木の眉間の皺が一層深まったように見えたのは気のせいだろうか。
「その年にもよるが、倍率は四倍前後になる。出願の条件は高校在学中の社会系の科目の評定平均値が四.二以上で、全体の評定平均値は四.〇以上の者とされている。試験日に実施されるのは小論文と面接。その他に合否を判定する材料は推薦書と調査書と自己PR書。その全部を総合的に判断するってことになってる」
 柏木はそこまでを一息に並べたてた。その年の推薦入試の要項をほとんど頭に入れてしまっているのだろう。
「美夏にとってのこの受験の難しさが分かってるかな?」
 静かな口調だった。私はただ黙ってうなずいた。
「倍率の高さは数字の通り。だけど見えないところにたくさんの難関がある。一年生のときから二年生になった現時点までの全教科の評定平均値が四.〇だから、条件はぎりぎり満たしていることになる」
 『秘密クラブ』で何かを説明する際と同様に、バインダーで綴じた反故紙に言葉と同じ文字が躍った。
「でも、具体的な数字には表せない条件で『人物、学力ともに優れ』っていうのがある。これが曲者くせものだ。判断材料が事前に提出する書類と小論文と面接だから、自然と学力以外での成果や蓄積が問われることになる。例えば部活動とか学外での活動っていうような」
 私は一瞬、目の前が暗くなるのを感じた。忘れ去ったはずのあの事故が、いつまでも私の背中を追いかけてくる。あの日以来、他人に胸を張って説明することができる自分らしさの一部が失われたままだ。私は今更ながら何もない自分を思い知らされた。
「部活を辞めてしまってから、こういう成果を残しましたっていう具体的な事例を挙げることができないままだろう? それでは他の受験生との差別化が図れない」
 自分がやろうとしていることはそれほどまでに難しいことなのだろうか。
「諸論文と面接試験は例年十一月の後半。今年は十九日だった。時期が時期だけに目ぼしい指定校推薦の枠はすべて埋まっているし、AO入試もほとんどの私大で終了してる。美夏がさっき自分で言ったように、推薦で落ちたときのことも考えて、センター試験を受験する準備を並行する必要も出てくる。これから丸一年しかない中でセンター試験の受験の準備をするのはたいへんだぞ。クラスの生徒のほとんどが進路を決めてる時期に自分はまだ決まってないっていうのは、精神的にもかなりきつい。お前の好きなバスケの試合に例えれば、これからよっぽどきちんとしたゲームプランを立てて取り組んでいかないと勝てない。美夏の中にそれでもやっていけるっていう覚悟があるなら、挑戦してみる価値はあると思う。どうだ?」
 真意を確かめるように、柏木の視線が再び私の瞳を射た。
 私はひるんだ。押されることにはまだまだ弱かった。ちらと横を見た。美智子がこちらに顔を向け、私にうなずいて見せた。私は覚悟を決めた。
「それでも、やってみたいんです」
 自分に念を押すように、言葉に力をこめた。
「分かった。日ごろの勉強の様子を見てきたから、おそらくそう考えてるんだろうなってことは分かってた。全体の評定平均値が基準に達してる以上、今まで通りかそれ以上の準備をしっかり積み重ねていけば可能性は高まる。いずれにしてもこれからの頑張り次第だから、最大限の努力をしてもらいたい。一緒にやっていこう」
 ぎこちないが、柏木が微笑んでくれている。美夏は柏木の言葉に、はいと返事をした。
 にわかに緊張がほぐれたからだろうか。無理をしているような、壊れてしまいそうな柏木の見慣れない笑顔に、私は思わず吹き出しそうになった。
 隣に座っていた美智子も同じような気持ちの中にいたのだろう。ふふっという短い吐息のような笑い声をもらし、私と顔を見合わせてまた笑った。

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