『明日の私』第13章「反則」(4)

小説

 二学年も終わりに近づいた二月の末。冬の間、積雪のために自転車を利用することはできない。私はローカル線を利用して通学していた。
 『津軽長寿園』にも同じ線の列車で通うことができた。ボランティアを終えた帰り道。雪の降りしきる夜の中を家の最寄り駅で下りた。改札を抜けて駅舎を出た。肩をかすめるようにしてやっとすれ違える幅を残した小さな階段の両側には、雪がうず高く積み上げられていた。夜空の闇からふと現れては舞う雪は、周囲の音を吸いこみながら足元にゆっくりと落ちた。そして前を行く人々の足跡を、瞬く間に白く塗りつぶした。
 私は傘をもっていなかった。雪の中に踏み出す前にコートの襟を立て、首をすくめて歩き出した。そのとき、後ろから声をかけられた。
「美夏」
 呼び止める声に、驚いて振り返った。私を名前で呼ぶような人間が、同じ時間帯に同じ駅で降りたためしなどなかった。男の声だ。一瞬、身を強張らせている自分に気がついた。
「ごめん。びっくりさせて」
 街灯の光の中に現れた声の主が勇児だと分かって、血圧測定器の空気がすうっと抜けていくように緊張が解けた。力が抜けていく体の正直さに、今度は笑いがこみあげた。
「やだ、もー、びくりしたー。どうしたの?」
 どうしてここにいるのかという意味だ。勇児は私の短い言葉の中に、その意図を汲み取っていた。
「話がしたくて同じ電車に乗ったんだ。すぐに済むからちょっといいかな?」
 私は黙ってうなずいた。勇児は何も言わないまま、数歩離れた民家のカーポートの屋根の下に私を促した。街灯の明りが心細げに二人を照らし出していた。雪は相変わらず降りしきり、私のコートの袖に降り積もった。
「話って?」
 切り出しかねていた勇児は、自分に勢いをつけるように「うん」と返事をした。
「大したことじゃないんだ。いや、俺にとってはたいしたことなんだけど」それから思い切ったように顔を上げた勇児が言った。「俺とつきあってくれないか?」
「これから? どこに?」
 私は間髪入れずにそう切り返していた。
 冗談を言ったわけでも、とぼけたわけでもない。瞬間的にではあるにせよ、私には勇児の言葉をそういう意味にしかとらえることができなかった。私にとっての勇児は、恋愛の対象としてはあまりにも曖昧な存在だった。

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