『明日の私』第2章「赤い川」(2)

小説

 高校生の本分が学業だと言われれば、うなずくしかない。部活を辞めたとしても学業に集中すればいいと他人ひとは言うかもしれない。そんなふうに気持ちを切り替えることができればどんなに楽だろう。
 しかし、部活が駄目なら学業にと、安易に切り替えられるような関わり方をバスケットボールに対してしてきたつもりはない。怪我をして長期間にわたって激しい運動ができなくなってしまった今、高校生のうちに選手としてバスケを続けることはできない。ならばこの学校での生活に、ほかに楽しめる要素など残されているのだろうか。私には思いあたるものが何もなかった。
 私はバスケが好きだった。ただひたすらに好きだった。
 小学生のころに接したミニバスケットボールでその面白さを知った。練習中は家のなかの嫌なことを忘れ、夢中になれるだけで幸せだった。そうやって楽しんでいるうちに、いつの間にかうまく、強くなっていた。
 百七十五センチある身長も手伝って、気がついたら中学女子の県ベストメンバーに選ばれるほどになっていた。所属していたチームにも何人か一緒にバスケを楽しむことができるメンバーがそろっていた。厳しいけれども納得のいく練習を続けていたら県大会で優勝し、東北大会にまで出場していた。残念ながら全国大会には出場することができなかったものの、仲間とともに楽しみながら高いレベルで自分を鍛え続けることができた経験は、何ものにも代えがたい自信となって私のなかに降り積もった。
 バスケに力を入れている強豪校からは、好条件での入学の声がかかった。その中には県外の高校も含まれていた。
 いくつかの高校の練習を見学したが、最終的にはバスケ部に豊富な人材がそろっているわけではない地元の私立高校、慈修学園高校への入学を志望するようになった。トーナメント上の戦績には現れない魅力があることを感じてきたからだ。このチームには適度な鍛錬を積んで自分たちなりの目標に少しでも近づこうとする一途さがあることを私は知っていた。
 地元のチームだから、折に触れて試合を見てきた。小柄な選手たちが声をかけて励まし合い、汗を滴らせながらオフェンスとディフェンスをがむしゃらにこなしている様子が、いつでもどの試合でも見ることができた。必ず勝つことができるという安定感こそないものの、ひとつランクが上のチームにも果敢に挑もうとする前向きな姿勢があることに好感がもてた。長いこと指導者が変わっていないことのメリットがうまく生かされていて、私が見る限り好ましい雰囲気が先輩から後輩に脈々と受け継がれていた。
 慈修学園の試合を見るたびに、こんなチームで、あんな指導者の下で、楽しくバスケがしたいと思っていた。仲間とともに練習を積み重ねて、勝つことの喜びを、負けることの悔しさを、みんなと共有することができるようなチームでバスケを続けたかった。初めから強いチームである必要はない。中学校での経験から、チームを少しずつ強くしていくことの面白さを知っていた私には、努力すれば何とかなるという過信があった。

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