先立って体育館を出た佐藤が私に向き直った。背中に負った夕日の赤い光に飲みこまれて、佐藤の顔は黒い影に塗りつぶされていた。
「大けがをしたんだ。選手を続けられないのは仕方がない。でも、美夏さえよければマネージャーになってもらえないだろうか。バスケをよく知っていて、選手の面倒を見られるような存在が必要なんだ」
そう言って、部に留まることを勧められた。しかし、私は退部を決めていた。これで心置きなく美智子とともに過ごすことができる。
「いえ、部活は辞めます。選手としての関わり方しか思いつきません」
佐藤は美夏の目を見た後、「分かった」と言った。そして、私のために道を空けた。私は佐藤に一礼して、その場を歩き去った。不格好に足を引きずる私の後ろ姿を見送る佐藤の視線を感じながら、教室に戻った。
六時間目の授業が終わると教室の掃除当番を残し、クラスの生徒たちは蜘蛛の子を散らしたようにそれぞれの目的のために教室をあとにする。左右の松葉杖を一旦右手にそろえて持ち、わざと「よいしょっ」と声を出して左足だけで立った。それから誰もいない教室で自分の席に座った。ついさっきまで受けていた授業の間は、何も考えずにこの場所に座っていられた。しかし、赤い夕陽のなかでそうしていると、静かに消え入ってしまいそうな自分の存在の小ささに、息苦しさを覚えて呼吸が浅くなった。
これで良かった。これからは早く家に帰ることができる。中学生のころから二人でいることを避けるように部活に没頭してきた。しかし、今度は本当の意味で母と二人で暮らそう。そうすることのために与えられた機会なのだと思うこともできる。そんなふうに自分を慰めた。何にだって切り替えが必要だ。バスケだってそうだ。ディフェンスとオフェンスの切り替えを何度も繰り返さなければならない。私はちょっと笑った。バスケから離れる決断をしたというのに、物事をバスケのプレーに例える癖が残っているようだ。
右足と同じように、今後も諦めや後悔を引きずって生きていくことになるのだろう。
だが、もう決めた。これからは高校生活と家事を両立させなければならない。友達もいらない。
私は荷物をまとめて教室をあとにした。鞄を肩から襷掛けにして廊下を歩いた。松葉杖をついて下半身を振り子のように前に投げ出すような歩き方は、私の体のいたるところを軋ませた。黄昏の校舎をバックに、できるだけ背筋をピンと伸ばして、私はゆっくりと一歩ずつ足を前に踏み出した。
肯定的に、前向きに、自分の未来をとらえることができていたはずだった。にもかかわらず、抑えていたはずの涙が堰を切ったようにあふれ出した。
いいんだ、これで、いいんだ。
胸のなかに自分の声が聞こえた。
これは儀式だ。
今までの自分を捨て去ろうとする私。これからの自分を祝福しようとする私。この涙は、古い自分と新しい自分を交代させるバトンの役割を果たしているに過ぎない。そう信じたいと願った。