『明日の私』第3章「しょっぱい味噌汁」(4)

小説

 学力上位者のためには、一般受験による国公立大学への進学を可能にする特別進学コースが二クラス設けられている。その一方、主に部活動に力を注ぐ生徒で構成された総合コースには、六クラスが割り当てられている。残る二クラスには特別進学コースのように毎日ではなく、週三日だけ放課後の講習を取り入れている。主に国公立大学と私立大学への進学を視野に入れたこのコースは、進学コースと名づけられている。特別進学コースと進学コースは、それぞれ理系と文系とに分かれている。
「お母さん思ったんだけど、二年生からは進学コースってところに入ったらいいんじゃないかな。バスケができないなら、勉強で頑張ってみたらどうかなと思って。そろそろ真剣に進路のことを考えてほしいのもあるし、週に三回七時間目の授業があるみたいだけど、勉強に身を入れるいいきっかけになるんじゃない?」
「でも、家のことはどうするの? 学校から早く帰って来られるから今のペースでいろんなことが間に合ってるけど、週に三日も補習があったら、その分忙しくなるし。今のままでいいよ」
 私は言ってしまってからまずいなと思った。美智子の提案など聞きたくてもそうそう聞けるものではない。この場面で自分の意見を言ってくるということは、口にした以上の考えがあるのかもしれない。一旦途切れた会話をもう一度引き戻す必要があった。
「それにしても珍しいね。お母さんから学校の話をするなんて。何か理由でもあるの?」
「美夏が希望する進学先をまだ決めていないようだから、そのきっかけがあればいいなって思ったの。たくさん授業があれば、それだけ勉強に興味をもてる機会が増えるわけでしょ?」
「進学って、お母さん、大学に行ってもいいってこと?」
 それを贅沢なことだと私は思っていた。いくら正社員に限りなく近い時数をカバーしているといっても、私は美智子のパートで得た収入で細々と暮らしている。大学に行きたいなどと、軽々しくは言えなかった。それを美智子から進学してもいいと言う。嬉しいことだが、戸惑いが先に立った。
「美夏は学費のことを気にしているかもしれないけど、それなら何とかなると思う。今まで少しずつ蓄えてきたお金があるから」
 いつになくしっかりとした口調でそう言う美智子が、誇らしげに見えるのは気のせいなどではなかった。長期間にわたるささやかな努力の積み重ねが、大切な一人娘の、心からの笑顔を引き出すことができる。そのことを揺るぎなく確信した充足感が、美智子を誇らしげに見せていた。そんなふうに頼りがいのある彼女の姿を、私は初めて目の当たりにした。
「お母さん、私、何をしたいかなんてまだ分かんないよ。でも、お母さんの言うとおり、これからもっと具体的に考えてみたいと思ってる」
 興奮気味にまくしたてる私をなだめるように、美智子は優しくほほえんだ。
「何でもいいのよ。美夏が堂々と生きていってくれさえすれば。将来に対するしっかりとした目標があれば、きちんと前に進んでいける子だってことはお母さんが一番よく知ってるから」
 私は黙ってうなずいた。
 みそ汁の入った椀を、顔を隠すように左手でもち上げた。椀の端に口をつけ、まだ熱い味噌汁にふうっと息を吹きかけた。そして空気と一緒に啜った。作りながらきちんと味見をしたはずだったのに、少ししょっぱかった。下のまぶたを押し上げてぽたぽたとこぼれ落ちた涙が、その中に溶けだしていた。
 

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