「柏木先生はすごい」
私が高校に入学して間もないころのことだ。その日の練習が終わり、いつも通り短いミーティングをするために佐藤のもとに集合した際、彼の口からその名が出された。
「とにかく熱いんだ。僕の方が教師としてもバスケの監督としても職歴は長いんだけど、あんなふうに生徒にぶつかっていく教師の姿を久しぶりに見たような気がする」
確か一生懸命練習することの意義について佐藤が語り出したのだったと思う。その流れから名前が挙がったのが柏木だった。
「圧巻だったのは三年前の高校総体。第三シードの強豪校とベストエイトをかけて戦った試合だったと思う。百九十センチ台のセンタープレーヤーがいる相手チームが明らかに格上だった。柏木先生はその対策としてゾーンディフェンスを作って試合に臨んだんだけど、地力に勝る相手にじりじりと引き離されていった。第二クウォーターが終わった時点で十七点差がついていた。その場の誰もが勝負あったと思ってただろうし、僕もそうだった。でも柏木先生は違ってた。試合のあとで聞いたんだけど、勝てる確信があったって言うんだ」
佐藤の話は続いた。
第三クウォーターが始まる時点で、柏木はオールコートのマンツーマンディフェンスを指示した。点差を縮めるための、決死のディフェンスだ。もちろん生徒たちは必死にそれを実行した。しかし、そう簡単には点差が縮まらなかった。そして二十一点差になったときに、柏木はタイムアウトを取った。
選手たちが柏木のもとに走り寄ってきた。皆意気消沈している。見るからに表情が暗い。その彼らに柏木が伝えた言葉が今でも忘れられないと、佐藤は言った。
「無言のまましばらく何も切り出さない柏木先生に、選手たちは黙って見入っていた。そしていよいよ柏木先生が発したのは、本当に静かな言葉だった」
柏木はこう言った。
「俺は勝ちたい。お前たちはどうなんだ?」
具体的な指示ではない。しかし、生徒たちは見違えるように落ち着いた。舞い上がってすっかり忘れてしまっていた目標を取り戻した。
「そこで柏木先生がすごいのは、感情論で終わらないところだ。生徒たちに冷静に試合を組み立てる力を取り戻させたところで、具体的な指示を与えたんだ。そのバランスがさ、何て言うのか、絶妙なんだよ。オールコートの1-2-1-1のゾーンプレス。何のことはない、練習で一番多くの時間を割いたプレーだ。キャプテンを中心にコート上のトラップの位置を確認させてタイムアウトを終えた」
タイムアウトを取ったことで、何よりも生徒たちの集中力が格段にアップしていた。一人が相手チームの選手に抜き去られても、仲間がカバーに入って簡単にはボールをゴールに近づけさせなかった。このカバーの繰り返しが驚くほど正確に機能し、高い割合でトラップに相手を誘いこむことに成功した。
相手チームにミスが連続した。スチールしたボールをパスでつないだ。持ち味の速攻がここにきてようやく生かされはじめた。速攻の形ができなくてもスリーポイントシューターにボールを集め、少しでも早く相手に追いつくことに専念した。そのシュートが面白いように決まった。九本中七本。当時のチームで、試合中の平均決定率が三割に満たないシュートだという。どれほど常軌を逸した場面だったのか想像がつく。そしてこの時間帯を制したことで、ぐんぐんと点差を縮めていった。