四月五日。
新しいクラスの生徒同士が顔を合わせ、担任の柏木の点呼を初めて受けた。
教壇に立つ柏木の姿を目の当たりにした瞬間、試合会場で男子部を率いる姿を遠目に見ていたことを思い出した。そのためか、柏木の存在自体に違和感はまったくなかった。しかし、教室のなかという限られた空間で間近に見てみると、柏木の存在自体が放ついかにも特異な印象が、なぜかいたずらに私の感情をとらえた。その何とも名状し難い感覚がどこから来るのか、柏木の目を見れば誰にでも分かってもらえるのではないだろうか。
その視線が、針の冷たさと鋭さをもって相手を射抜くような力を感じさせるのだ。これから毎日こんなことを思わされる視線にさらされて、果たしてうまくやっていくことができるのだろうか。新たに担任になった柏木について何も知らない段階から、私は勝手な妄想に心を痛めた。
始業式、心電図検査、身体測定、歯科検診、交通安全講話。
年度初めの慌ただしい日程に追われるかのように、昨日の自分を振り返る暇などまったく与えられないまま、ただ時間だけが過ぎていった。しかし、授業ばかりが詰まっているような日程のなかでよりも、出席番号順に並んで体重計に乗る順番を待っているときの方が、新しいクラスメイトと気軽に話をすることができた。出席番号が前後に連続している者同士、体重が増えただの減っただのと他愛のないことに一喜一憂して見せる。こうやって少しずつ相手との距離を縮めていくことも必要な技術なのだと考えてみる。
五月。
ひと通り年度初めの準備期間が終わり、毎日の授業が確実に行われる時期になった。
教室のなかで授業を受けている分には、親しい友人がいないことの弊害を感じることことはなかった。黒板と、授業担当の教師と、手元のノートとの間に、交互に視線を移動させるだけで時間は確実に過ぎていった。
しかし、体育の授業の際に事態は一変した。自分から積極的に飛びこんでいってまで、クラスメイトと仲良くする必要はないという私の一方的な思いは、まったく通用しなかった。それは自分の都合で決めたことでしかなく、周囲は私の身勝手を許してはくれなかった。
女子が十九人のクラスで、バレーボールの試合をするという授業だった。自由にチームを作っていいという教師の指示が出されると、あっと言う間に六人組のチームが三つできあがった。私だけが取り残された。その瞬間の足が宙に浮くような、あるいは体重のすべてがずしりと両足にのしかかって動けなくなったような、そんな違和感が私を包んだ。どこのチームにも入りきれないでいる私に気づき、体育担当の若い男性教師は神経質そうな視線を投げてよこした。そして、あろうことかもたもたするなと鋭い声をあげた。その声は私を低め、私以外を高めた。両者の間には高低差が生じたばかりでなく、深々とした溝が穿たれた。
その瞬間の周囲の反応が、残酷なまでに私を独りにした。
自分が安全なところにいるという優越感を滲ませつつ、皆が私を遠巻きにして薄く笑っているように見えた。数人の女子生徒は、口元に皮肉な笑みを浮かべているように思えた。
実際のところはほんのわずかな時間に過ぎなかったはずだ。しかし、私の体を取り巻いた息苦しい時間と空間は、永遠に続くかとさえ思われた。私の目には見えない振幅で、自分の足ががくがくと震えているような気がした。慣れ親しんできたはずの体育館で、今は孤独に打ちひしがれて立ち尽くしている。悪い夢を見ているような薄い現実感のなか、こめかみがずきずきと痛んだ。