『明日の私』第5章「秘密クラブ」(3)

小説

 そして七月。
 定期試験が終わり、あとは耐久歩行と学校祭という比較的大きな二つの行事をクリアすれば、待ちに待った夏休みが訪れる。学校中の生徒を開放的な雰囲気が少しづつ包みこんでいった。その、夏休みを翌日に控えた終業式の日の教室で、担任、柏木が妙なことを言い出した。
「今日から『秘密クラブ』を立ち上げるぞ」
 朝のショートホームルームで柏木がそう言ったとき、クラスメイトの誰もが「へっ?」という顔をした。美夏もそのうちの一人だった。
「放課後四時、暇なやつは職員室に来い」
 何かおかしなことを考えているのだろう。柏木が頬の筋肉を緩ませて、にんまりと笑った。自分たちのクラスの担任である彼について、少しずつ分かりかけてきた時期でもあった。
「入部届け不要。活動は不定期。今日は時間を指定したけど、参加も活動内容も各自の自由。来たいときに来て帰りたいときに帰る。俺はただ職員室の一画を提供するだけ。お前たちから何か訊かれない限り特に何も答えない、いわば放任主義の偽コーチみたいなものだ。基本的には自学自習のためのサークルだ。ほら、子どものときにやっただろ? 夏休みの宿題をみんなが集まってやるような。どうせお前たちは一人じゃ勉強なんてしないんだから」
 そんなことを急に言われても、なかなかピンとくるものではない。誰かが質問の口火を切った。
「先生、『秘密クラブ』の『秘密』って、何が秘密なんですか?」
 柏木はいかにも待ち構えていたように即答した。
「単なるノリで名前をつけただけだ。特に意味はない。まあ強いて言えば、公言する必要がないってことで『秘密』なだけだ」
 柏木によればこうだ。初めから会の趣旨を公表してしまえば、他の教師に邪魔にされて、職員室じゃなく教室でやりなさいってことになる。特に何も言わずに『秘密』にしておけば、毎日何人かの生徒が居残りさせられているという程度にしか思われない。
「職員室を使って、他の先生の迷惑になんないんですか?」
 別の生徒が投げかけた。
「大丈夫。今まで物置みたいな使われ方をしていた職員室脇の小部屋が整理されたんだ。まだ具体的な使い道が決まっていなくて、とりあえず面談室ってことになっている。そこを使えば、誰にも迷惑はかからない」
「でも、どうしてこのタイミングなんですか? 四月から始めてもよさそうなもんじゃないスか」
「それはだな」そら来た、という不敵な笑みが柏木の満面に浮かんだ。キメの一言が繰り出されるのだと、皆が待ち構えた。「職員室にエアコンが入ったからだ」
 まるで自分自身の手柄のように、胸を張ってふんぞり返っている柏木の子どもじみたポーズが笑いを誘った。
「えーっ、ズルいよー」
 この街は四方を山に囲まれた盆地に開かれている。陽炎かげろうさえ立ちそうな、むせ返るような湿度のなかで汗をにじませた生徒たちの声が、教室中にこだました。最後に、家に帰ると勉強する気になれないやつに集まってもらいたいと、柏木は話を結んだ。そしてまた、にんまりと笑った。

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