『明日の私』第6章「馬鹿」(5)

小説

「職員室に入ってきて分かったと思うけど、こんなに涼しくて快適な環境はないだろ? 高い電気代を払って何人かの教師しかこの快適さを享受していないのは実にもったいない。クラスの全員がこの空間に集まって勉強してもいいくらいだ」
 そう言うと柏木はまた、読みかけの本を開いた。そうしてやはり視線を上げないまま、勉強はやれるうちにやっておくもんだ。後になって悔しい思いをするのは自分だからなとつけ加えた。
「ゆとり教育の考え方が当たり前になってるのに、そんなに勉強勉強って言うことないんじゃないですか?」
 他意はない。それは何となく私の口をついて出た言葉だった。ゆとり教育という言葉が、当たり前に浸透していた時代だったということでしかない。しかし、その言葉が耳に届いた瞬間の柏木の変化は、その場の空気を一瞬にして凍りつかせた。
 柏木は読んでいた本から顔を上げ、視線を私の目にぐっと合わせた。その視線にこめられた猛々しさは、予想外の強さで私の瞳を射抜いた。
「馬鹿か? お前は。もしかして、ゆとりだらけで競争がない社会があるなんて思ってんじゃないだろうな?」
 瞬時に小さくなってしまった自分を感じた。足がすくんだように、全身に力が入らなかった。
「ゆとり教育は、子どもたちが勉強以外の、もっと他のことに取り組む時間を作ってやろうってところから動き出した。だけど、それに合わせて社会全体が変化しているわけじゃない。社会が変化していないのに、子どもたちに時間だけを与えて一方的に環境を変えてしまったようなもんだ」
 柏木は続けた。
 いわゆるレベルが高い学校、誰もが入りたいと考えるような大学や就職先には、当然多くの受験者や希望者が集まる。そうすれば何らかの方法でふるいにかけられることになる。実力のある者だけが生き残ることを許される。学習にしろ運動にしろ、実力はただ遊びほうけているだけでは手に入らない。小中学校でゆとり教育が動き出したからといって、大学の入試問題のレベルが下がるわけではない。だから高校での学習で不足分を取り戻さなければならなくなる。学校の授業だけでは足りなくなるから、ある一定レベル以上の大学を受験する場合には学習塾に頼ることになる。そのことに気がついた親たちは、ゆとり教育によって削られた学習内容を補うために、学習塾に通わせる。土曜日に学校に行っていた分を、今度は塾での学習に置き換えたに過ぎない。どんな仕事に就くにしろどんな進路を取るにしろ、身につけておくべき最低限の知識はある。それを身につけていれば目的を達成しやすくなるし、そうでなければ競争に負けて望まない環境に身を置くことになる。ゆとり教育によって空いた時間的な穴を積極的に使うか消極的に使うかによって、はっきりと二つの方向に分かれてしまう。希望する大学に入りたいっていう明確な目標があるなら、ゆとり教育っていう名前がついている時代だからゆとりをもって勉強しようなんて考え方は間違ってる。ゆとりっていう言葉に惑わされずに、自分の目標に見合った努力を地道に続けるしかない。お前たちも、やるべきことをしっかりやれ。
 誰も、何も言えなかった。
 反論することができる要素がなかった。それほどに柏木の言葉には勢いと説得力があった。
 その通りだと納得する者、自分の甘さに気づかされた者、もしかしたらそんなことあるものかと反感を抱く者がいたかもしれない。しかし、いずれにしてもその場にいた皆がある種の衝撃をもって柏木の言葉を受け止めていた。
 私は、反感を抱いたのに反論を試みなかった。なぜならその反感が、期せずして論の口火を切ってしまった私に向かって『馬鹿』という言葉が放たれたという事実だけに当てはまることに気がついていたからだ。ゆとり教育をめぐる柏木の言葉そのものに対しては、異論をはさむ隙間がまったく残されていなかった。私はあまりにも無知なまま言葉をこぼしてしまった自分を恥じた。
 『馬鹿』という言葉の強い響きが、鋭い槍となって私の胸に突き刺さった。それを甘んじて受けなければならないことを感じていた。だが、次に湧いてきた感情に、私自身驚いた。
 負けたくない。そう思った。

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