相手が見えなければ、信じたくても疑念を抱いてしまうことがある。本当は美智子のために時間を費やすことに否定的な感情を抱いているもう一人の自分がいる。
いくら美智子が仕事をしているとはいえ、忙しすぎて仕事以外の労力をまったく割くことができないというわけではない。また、仕事といっても家に持ち帰る類のものではない。夜七時、世間では当たり前の時間に帰宅して、あとは比較的のんびりとしていることができる。
放課後、高校生の私が取るものも取りあえず帰宅し、スーパーで買い物を済ませて夕食の準備にとりかかる過程は実に慌ただしい。時間的な忙しさで言えば、美智子と対等かそれ以上なのではないだろうか。世間にはいくらでも私と美智子のように母娘二人で暮らしている事例はあるはずだ。そのなかで娘の方が早く起き、母親と自分の弁当を作っている場合をカウントしたら、私は少数派に属するように思える。もっと自分の役割のウェイトを落としてもよいのではないだろうか。そんなふうに思ってしまうことがある。
しかしこの日は、自分が置かれている立場を疑うことなどまったくなかった。少なくともこうやってテーブルを挟んで差し向かいに座り、美智子と一緒に食事を摂っている分には、楽しく充実した時間を過ごすことができるのだ。そしてその結果、以前よりもずっと美智子に好意的な視点をもつことができるようになった。
以前と変わらず何を考えているのかが分からない、曖昧な美智子の態度を手放しで好きになれるわけではなかった。しかし、こうも時間と空間を共有することが多くなると、共感とでも呼ぶべきものなのか、否が応にも相手との距離を縮めて物事を見るようになってくる。相手の嫌なところに目をつぶってしまいがちになる。
この傾向は父親が家を出て行った後と、私が部活を辞めた後に段階を踏んで顕在化してきたように思う。
私には美智子しか、美智子には私しかいない。
寂しいことなのかもしれない。しかしそんなことに寂しさを感じるよりも、誰かが一緒にいることの幸せを嬉しく思おうとする自分に気がついていた。
「ねい、お母さん」
「うん?」
「今度一緒に温泉にでも行こうよ」
この地域にはおそらく各市町村にひとつ以上は、気軽に利用することができる入浴施設がある。
「そうね、久しぶりに、いいわね」
美智子はちょっと微笑んで見せた。
こんなささやかな予定があるだけで、近い将来への不安や苦しみが打ち消される。密やかな満足を味わいながら、私は味噌汁椀をもち上げた。
みそ汁を啜る口のなかに、なめこがつるりと滑りこんできた。一瞬の間なめこが喉をふさぎ、私は反射的にゲホゲホとむせった。その様子に、美智子は声を上げて笑った。