「せっかくの休みにわざわざ合宿につきあってやってるんだから、しっかり勉強しろよ。どれ、俺もしばらくここにいようかな」
柏木はそう言って、自分も大広間の一画に別のテーブルを据えた。ノート型のパソコンを開いて何やら仕事を始めた。
『秘密クラブ』の面々は思っていたよりもずっと早く、自分で勉強する姿勢を身につけることができていた。柏木がいてもいなくてもすんなりと自分の殻に閉じこもり、黙々と各自の学習に没頭することができた。大広間にはカツカツと鉛筆を走らせる音や紙ずれの音が時折空間を穏やかに占めるのみで、学習にふさわしい環境を維持することができた。柏木がキーボードを叩く音が一番うるさいくらいのものだった。
一時間学習に励んでは、十分程度の休憩を挟んだ。
椅子ならば話は別なのだが、私にとって畳の上で長時間低い姿勢を保ち続けるのはつらい。右足の怪我のせいだ。座布団を何枚も重ねて座ってはいるのだが、こまめに姿勢を変える必要がある。一時間ごとに休憩を挟むペースは、私にとって都合がよかった。言葉にしなくても皆が私のことを思い遣ってくれているのが分かる。
「そろそろ息抜きしようか?」
夕方の五時をまわったところで勇児が切り出した。
皆で生徒会館の外に出た。第一体育館の前の階段を下り、中庭に出た。柏木も一緒に生徒会館を出たはずなのに、中庭に姿を見せたのは生徒五人だけだった。
「あれ? 先生は?」
誠が初めに柏木の不在に気がついた。
「今までいたよね?」
保奈美がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、段ボール箱を抱えた柏木が現れた。彼の様子を見るかぎり、段ボール箱は軽そうだった。
「先生、何ですか? それ」
私がたずねると、柏木はにやりと笑った。私の問いには直接答えず、彼を待つ皆の輪の中に入ると、柏木は段ボール箱を芝生の上に置いた。頭を寄せ合って中をのぞきこむと、グローブとボールが入っているのが見えた。
「晩飯は六時からだから、準備の時間も入れてあと三十分はあるだろ? その間、キャッチボールしようぜ」
屈託のないという言い方は使い古されていて嫌なのだが、柏木の姿を見た私にはこの言葉しか浮かんではこなかった。こういう遊びの提案をするときの柏木は、本当に子どものようだ。
「おっ、いいっすね」
哲也が真っ先に段ボール箱に手を突っこんだ。素早くグローブを取り出したかと思うと、もう左手にはめている。いつの間にかボールを右手にもっている。そして、グローブのなかにボールを投げこんでは握ってを繰り返している。私もグローブを手にした。左手にはめて、閉じては開く。懐かしい感触が手の平だけでなく全身に甦る。幼い頃、確か中学一年生のころまでだろうか。父親を相手に庭先でよくやったものだ。不思議な息苦しさは一瞬だけのことで、甦った記憶は温かかった。