『明日の私』第8章「合宿」(3)

小説


 柏木もふくめた五人がグローブを手にすると、それぞれが暗黙のうちに数歩下がった。ほどよい距離をとった五角形ができあがった。保奈美だけが体育館前の階段の一番下の段に腰を下ろして、皆の様子を眺めたいる。それだけで楽しそうに見えた。
「じゃあ、いくぞ」
 哲也がグローブのなかでボールを握り、頭の上に高々と両腕をもちあげた。速いボールが放たれることを予想したのだろう。その様子を見て、はじめの受け手になりそうな誠が条件反射的に少し腰を引いた。しかし、哲也は誠が考えていたよりもずっとゆったりとした動きで足を踏み出した。モーションの大きさの割に緩やかな放物線を描いて放たれたボールは、誠がかまえるグローブにパスンと乾いた音を立てておさまった。一見すると何の気なしに投げているようだが、体の使い方がなめらかだからこそ勢いを殺したボールでもコントロールが効いている。そして球威を抑えることで受ける側の力量をさり気なく測っていることにも、私は気がついた。
 哲也からのボールをキャッチした誠が、今度は勇児に向けてボールを投げた。誠の投球フォームもそれなりに綺麗だが、速い球を投げようと気負い過ぎて指先がボールに引っかかった。コンクリートに叩きつけられたボールはワンバウンドで勇児の足元をかすめ、反対側の壁まで転がった。ワンバウンドを取り損ねた勇児がボールを追いかけた。
「ごめんごめん」
 誠が顔の前で、拝むようにグローブと右手の平をあわせて謝っている。ボールを拾い終えた勇児が誠の仕草に片手を上げて応え、定位置まで戻って投球フォームに入った。その動きのぎこちなさである程度の予測はついたが、ボールを投げる右手の動きがまるで砲丸投げのようだ。肘と手首の動きが硬く、ボールを前に押し出すような形にしかなっていない。いざ勇児の手を離れたボールはほとんど回転がなく、空中をふらふらとさまよっているように頼りない。受け手の柏木がグローブをかまえている位置よりもずっと手前で失速して、地面にポトリと落ちた。
 柏木が数歩前に出て、グローブをはめていない右手でボールを拾い上げた。
「勇児、下手だなぁ」
 柏木が笑いながら言った。
「久しぶりなだけですよ」
 言われた勇児も笑った。
「じゃあ、美夏、いくぞ」
 柏木がボールをもった右手を上げて見せ、二、三度手首をしならせた。
「先生、普通に投げても大丈夫ですよ」
「大丈夫?」
「はい、多分」
 私には自信があった。幼いころから父親が投げるボールを受けてきた。初めこそ手加減していたのだろうが、私がひと通りの球を処理することができるようになると、野球好きだった父親が投げるボールはそれなりの球威をもつようになっていた。それに慣れてしまっていたから、よほどの勢いがある場合や暴投でもない限り、ボールを逸することなどほとんどなかった。

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