柏木が振りかぶった。小さな体重移動だったが柏木によって適切な力が加えられたボールは、私のグローブめがけて真っ直ぐに飛んできた。ボールそのものの勢いだけで私のグローブを閉じさせる。正しすぎてつまらないボールだ。
私はグローブのなかのボールを右手で掴み出した。少なくとも勇児より上手く全身の力をボールに集めることができるはずだ。私は胸の前にグローブをかまえ、その中にボールを握った右手をおさめた。真っ直ぐに立った状態から左足を少しだけもちあげ、肩を軸に右手を振り上げた。あとは指先に体重をのせるようにしてボールに力を伝えることを意識する。一連の動作をつなげて指先からボールを押し出した。私の視界のなかで白いボールが回転しながら進んでいく。無駄をはぶいた軌道が哲也のグローブへとつながっていく。それが思い描いた通りの道筋だったうえに、哲也のグローブからパシンという小気味よい音が響いたことに私は満足した。
「おっ、いい球だ」
私の手を離れたボールをしっかりとグローブで受け止めた哲也が目を見開いている。その声が一瞬父の声と重なった。
美夏、もう少し肘を前に出してごらん。肘と手首の自然なひねりを利用すると、腕の構造に無理のない、自然な動きでボールに上手く力を伝えることができる。
どこからかそんな声が聞こえたような気がした。草いきれの匂いがツンと鼻をつく。肌が今とは違う太陽の光を感じる。そこには父の笑顔があった。記憶のなかの私もまた、笑っていた。
「上手いな、美夏。慣れてるのが分かるよ」
柏木の声が明るい。
「子どものころからよくやってましたから」
「お父さんと?」
「まぁ」
私の胸にさざ波が立った。
「美夏、かっこいい」
保奈美が手を叩いている。自分を過去の記憶のなかから現実に引き戻すために、私は大袈裟な笑顔とVサインを作って見せた。
五人でボールを回しあい投げては受けてを繰り返しているうちに、六時近くになっていた。知らず知らずのうちに肌が汗ばみ、Tシャツがうっとうしくまとわりついた。夕日はいつしか校舎の陰に隠れ、中庭には涼しい風が躍った。そろそろ夕飯に行くぞという柏木の声を合図に、皆が左手からグローブを外して段ボール箱に戻した。
「それじゃあ、男子はこれを体育館脇の倉庫の前に運んでおいてくれ。倉庫には鍵がかかってるから、あとで俺が鍵を開けて中に入れておく。車で拾いに行くから、そこで待っててくれ」
柏木は学校の外の食堂で夕食を摂る計画を立てていた。バスケ部の合宿の際にも利用している食堂だから、料金に見合ったメニューを先方に任せているとのことだった。どんな食事が待っているのかも、この合宿の楽しみの一つだった。