しかし、この夜は違っていた。なぜだろう。胸の奥がほんの少し温かい。
「周りが田んぼとリンゴ畑ばっかりでちょうどいい具合に暗いから、こんなささやかな地方都市の明りも綺麗に見える。夏の夜に涼しい風に吹かれながら街の灯を眺めるには最高の場所だろ? カエルの声もたまらなくいいよな。こんな恵まれた環境を満喫しない手はない。バスケ部で合宿するときには、ほんのちょっとの短い時間でもここに来るようにしてるんだ。すっと気分が晴れる」
「一人でですか?」
「こういうのは一人がいいんだよ」
ふと見ると、柏木の手には炭酸飲料のペットボトルが握られていた。
「先生、珍しいですね。コーヒーじゃないなんて」
私は柏木の手元を指さした。
「本当はビールを飲みたいところなんだけどなぁ。お前らのせいで仕事ってことになるから、これで我慢してるわけだよ」
柏木はペットボトルを口に運び、グビッと一口飲んだ。そのあとわざとらしく大袈裟な溜息をつく柏木が、何だか子どものように見えた。
「先生、座ってもいいですか?」
私は柏木と同じように夜景の方向に体を向け、膝を抱えて座った。尻にコンクリートの感触が硬く、そして冷たかった。ジーンズの裾からちょこんと顔を出した自分の爪先が、やけに白く見えた。
「OK出す前に座ってるじゃないか」
私は、はははと笑った。
「夏の夜って、何だかいいですね」
「そうだな。いろんなことが許されているような気がするよな」
「あっ、それ、何となく分かります。ちょっと羽目を外したくなるような」
「な、そういうわけで、やっぱりビールが飲みたくなるわけだ」
「すいませんね、私たちのために」
私は少しだけ皮肉を込めてそう言った。
「分かればよろしい」
柏木は小さく笑って、また口元にペットボトルをもっていくと、ぐっと喉を反らせて炭酸飲料を口に含んだ。空を仰ぐような格好になった。
「おっ、星も綺麗だ」
柏木の言葉には、まるで独り言のように相手がいなかった。
「先生は星にも詳しいんですか?」
「いや、俺はからっきし。だけど、親父は詳しかったなぁ。時々思い出すよ。電車とバスを乗り継いで、家族で山の天文台に行ったときのこと」
柏木はコンクリートの上にごろりと仰向けになった。