試験会場までは、バスの停留所で七つ分の距離だ。私は時間的に十分な余裕をもって会場まで歩くことを選んだ。凛と澄んだ、ちりちりと頬を刺す冷気の中に吐き出す息は、つい先日までよりもずっと白さを増していた。
この二年間、状況だけを並べ挙げれば、幸せなだけの日々ではなかった。家事に勉強にボランティア。いつも何かに追い立てられながら過ごしてきた。
しかし、私は本当に何の迷いもなく、ただ一筋に私でいることができた。
一つひとつ、自分で選んだことに取り組めただけでも幸運だったのではないか。自分の意志を貫くことで、私は澄み渡るように私自身でいられたのだ。
純粋に自分であることをひとつの価値とするならば、推薦入試の当日を目指す毎日は光に満ちていた。目標が達成できるかどうかは分からない。入試という現実に対する不安に彩られた日々だったと言うこともできる。しかしその一方で、未来に対する手応えがいたるところに転がり落ちていたのも事実だ。やりたいと思っていたこと。やらなければならないと考えていたことを、ただひたすらに追い求めることができた。その成果を今日、この日に出し尽くすことができれば、きっと望んだ結果がついてくる。そう信じることができた。
私は歩きながら空を仰ぎ、大きく息を吸いこんだ。
大学の正門前には、複数の、小さく静かな人だかりができていた。受験生本人はもちろんのこと、彼らを励ます教師や保護者なのだろう。その雰囲気で、遠目にも集団の構成要素を判別することができた。
その中にひとつだけ、異質な黒い点が含まれているのが見えた。物理的には集団の中に埋もれているのだが、妙に際立って視界に飛び込んでくるものがある。直感的に柏木だと思った。
すっと視界に飛び込んできた豆粒のように小さな黒い点は、紛れもなく柏木だった。一歩一歩私が近づくにつれ、その予想は事実になった。
彼は正門脇の石垣に腰かけていた。傍らには缶コーヒーが置かれていた。考えてみれば、柏木の手が届く範囲には、いつも何か飲み物があった。私はちょっと笑ってみた。
私が正門の前にたどり着くと、柏木ははたと気がついたように右手を挙げ、仕草だけでおはようと挨拶を送ってよこした。『秘密クラブ』のために初めて職員室を訪れたときの光景が思い出された。いつもと変わらない柏木の様子を見て、何だかほっとした。
「先生、来てくれたんですね」
「うん。美夏が迷子になってないか心配でな。ちゃんとたどり着けてよかった」
柏木がにやりと笑った。
「それより、調子はどうだ? ゆうべはよく寝むれたか?」
「はい、ばっちりです」
「そうか、それなら良かった。じゃあ、早めに試験会場に入っておけ。面接はあくまでも冷静に、だけど熱っぽく自分を表現して。相手に分かってもらえるように努力すること」
「はい」
面接練習の際に何度も聞かされてきたこの言葉が、最後の最後の段になって、私に覚悟を決めさせた。
『明日の私』最終章「明日の私」(2)
