「それじゃ、行ってきます。先生はこれからどうするんですか?」
そんなはずなどあるわけがなかったが、妙な期待をしてしまう。こうして待ってくれていたのだから、試験がすべて終わるまで会場の敷地内にいてくれるのかと。
「これからすぐに学校だ。部活の連中が待ってる。そんなことどうでもいいから、早く行け。気持ちを落ち着かせる時間も大切になるはずだ」
この朝、柏木の姿を見つけたときから言いたいと思っていたことがあった。別に取り立てて大した内容ではないのかもしれない。しかし、私が初めて言葉にする本当の気持ちだった。
「先生、来てくれてどうもありがとうございます。それから今までのこと、全部全部、感謝しています」
そう言って私は頭を下げた。しばらくして顔を上げると、柏木は困ったような笑みを浮かべていた。私は肩をすくめて見せた。頬が熱くなる。しかしすっと雲が開けるように、心に青空が広がるのが分かる。何があっても大丈夫と、体中に力がこもる。
柏木は何も言わずにくるりと踵を返し、駐車場の方に向かって歩き出した。その背中に、私はもう一度深く一礼した。そしてしばらく柏木の背中を見送ってから、学舎に体を向けた。見慣れない白い壁と窓の列が、私の前に立ちはだかっていた。私は「よしっ」と声を出し、右足を大きく踏み出した。
面接試験中、どれだけ柏木と『秘密クラブ』の存在に感謝したことか。
「現代社会に生起する問題の中で、あなたが最も関心をもっている事柄を一つ挙げ、簡単に説明してください。さらに、その問題に対するあなた自身の考えを、簡潔にまとめてください」
「推薦書と自己PR書にボランティア活動に関する経験が書かれていますが、現在のボランティアが抱える問題点と解決策について、話してください」
「あなたが中学校の教師であると仮定します。クラスにいじめがあることを知ったとき、どのように対処しますか? 説明して下さい」
「あなたにとっての理想の教師像を話してください」
これらの質問はすべて、『秘密クラブ』で話題に上ったものばかりだった。
回答する際には、オープンキャンパスに参加した経験や、大学の入学案内をつぶさに調べて把握していた内容を総動員した。そして、いかに強くこの大学で学ぶことを切望しているか、自分が学びたいこととこの大学の教育とが、どれほど適合しているかという結論に向けて、論を展開することを心がけた。
自分でもどうかしてしまったのかと思えるほど、唇から次々と言葉が紡ぎ出された。しかもただの羅列ではなく、論旨を外れることのない、理路整然として揺るぎない強さをもった言葉たちが、この大学のレベルにまで私を確実に押し上げていた。合格に値する実力をもっているという実感は私だけのものではなく、試験官にとっても同じであることを、ただひたすらに祈った。
『明日の私』最終章「明日の私」(3)
