私は橋を渡った。
川に沿ってのびる土手の上には、乾いた土がむきだしになった白い道がどこまでも続いている。私は土手の稜線にのびるこの一本道を、当て所なく歩いた。
川原と反対側の斜面には、幹回りのたくましい桜の木々が連なっている。立派な枝ぶりが互いに干渉しあう間隔で植えられた桜の並木は、春になると空を薄桃色に染め上げる。空の青に桜のほのかな桃色が映え、ひらひらと花びらの舞う様は、言葉を失うほどに見事だ。
冬の今、その光景を目の当たりにすることはできない。しかし目をつぶればいつでも、まぶたの裏に映し出すことができるほど、鮮烈で美しい記憶が胸を焦がした。
岩木山から滑り落ちるように吹き渡る風は川面を伝い、土手を駆け上がり、私の髪をなびかせた。川原と土手の境界を埋めるかのように帯状に群生するススキの穂が、午後の日をたっぷりと孕んで柔らかな焔のように立ち上がっていた。
突然、私の耳に轟音が飛び込んできた。
橋と並行に川を横切るJRの鉄橋を、二両編成の列車が駆け抜けていった。ぼんやりとした霧の中にあった思考が、一挙に現実に引き戻された。
私はふと立ち止まった。
自分の手を見た。
当たり前のようにこの世にあるもの。
葉を落とした黒い桜の枝。
黒く青く白く、ときには金色に輝く川面。
そして眩しく燃え立つススキの穂。
それらを何の躊躇もなく等しく照らし出す日の光が、私の手元にも平等に降り注いでいた。
そして私が愛したこのちっぽけな器にさえ、分け隔てなく光があたっている。内側の底に沈んだ瑠璃色には灰がこびりついてるが、縁の部分は厚みのある釉薬の透明がぽってりと日の光を内包し、滴るように輝いていた。私は試みに、指先で小鉢の底を撫でた。白い灰がさっくりと拭い去られたあとに、あの、誰も訪れることのない山間の湖を思わせるような瑠璃色が蘇った。
小鉢は耐えたのだ。
小さいけれども赤く燃え上がる、脂に穢れた煙草の火を、何度押しつけられても輝きを失わなかった。
父親を嫌った。
母親を憎んだ。
それを恥じようとは思わない。ただ、自分の弱さを思い知らされた。
柏木ならどうしただろうか。父親の帰宅を知ったとき、柏木ならどんな行動をとっただろうか。きっともっと冷静に、自分を貶めることなく、上手に振る舞ったことだろう。
『明日の私』最終章「明日の私」(9)
