夏空

小説

蓮花19

事の発端となった修善寺は、東京の浅草に本社をもつ運営会社の系列に属する。それまではその会社の社長が母の求めに応じて異なる土地に職の手配をしてくれていた。それだけでも一定のラインを越えた温情ではあったのだが、母がそれを頼らないと決めたことをも...
小説

蓮花18

加害者の家族が受ける誹謗中傷を、次の加害者であるあの人に引き継ぐ行為。憎悪が次の憎悪を生み出す流れを作ることは何としてでも避けなければならなかった。あの人を憎むことによって、自分の置かれた場所はほんの少しだけ居心地が良くなるかもしれない。し...
小説

蓮花17

「先ほど、なぜ建築士にという話がありましたよね」あの人が真っ直ぐに佳佑を見た。「他人と接することを避けてきたのには、理由があるんです」 何もここで口に出す必要はない。しかし、知りたかった。「父が、人を殺したんです」 相手から表情が消える瞬間...
小説

蓮花16

「失礼します」 それを見ていたのだろう。店先で何らかの作業を終えた若い男が横に立った。ゆっくりと丁寧に土鍋を持ち上げると、それを手に厨房へと姿を消した。「彼が、二代目です」 あの人が微笑む。その成長を見てきたからなのだろう。そしてこれからも...
小説

蓮花15

「血のつながり、なんですかね」 母と自分との間にも、敢えて言葉にしなくても分かち合い、労いたわりあえていた部分があった。「あなたは? あなたが辛いときには、誰が助けてくれるんですか?」問う必要も、あるいは答える理由もない言葉が口をついて出た...
小説

蓮花14

「私の仕事も、同じです」「お仕事は何を?」「建築士です」あの人は頷いた。「建築はどんなに目新しく奇抜なデザインやアイデアが盛り込まれているように見えても、きちんと基礎的な工事を踏まえていなければ安全ではありません。安全が確保されてこそのデザ...
小説

蓮花13

「なぜでしょうね。誰しも遅かれ早かれ親の死に直面することになります。その場に居合わせることと居合わせないこととの間に、そんなに大きな違いはないように思うんですが」「それは、個々の親子関係によるでしょうね。生前に十分な関係が保たれていれば、死...
小説

蓮花12

耳慣れているのだろう。あの人が盆を持ってカウンターから厨房に移った。そしてすぐに戻ってきた。再びぐるりとカウンターを回り、空いた皿を下げ、次の料理を置いた。手元に視線を落とす。湯気と一緒にふわりと香るのは、焦げた醤油と魚の匂いだ。「うわっ」...
小説

蓮花11

二〇〇五年。 佳佑は長男の俊真が生まれたときのことを思い出した。こんな自分が、父親になることができるとは思ってもみなかった。もしそんなことがあろうものなら、子どもに暴力ばかりふるう父親になってしまうのではないか。手を振り上げただけで子どもが...
小説

蓮花10

皿の上に大葉が敷かれ、その上に茎と根を切り落とされたエシャロットが寝かされている。根元の切り口をしばらくの間みりんでのばされた麹味噌に漬けておいたのだろう。味の染み込み具合が見た目にも分かる。 箸を手に、一つを摘まみ上げた。ほっそりとしたふ...