小説 蓮花9 自宅周辺には東京とは思えないほどの緑があふれている。在来線の車窓には、都心部に近づくにしたがって建物の密集度が高まる。やがてコンクリートのジャングルへと景色が変わる。隙間を縫うようにして走る列車が、駅舎へと吸い込まれていく。佳佑は列車を降り... 2024.10.08 小説
小説 蓮花8 透明なビニールのカーテンに囲まれて身を横たえていると、不安ばかりが押し寄せる。普段はいつ死んでもいいなどと嘯うそぶきはするものの、実際に死の影がちらつくような場面に出くわしてようやく、死を殊更に恐れる自分の弱さを再認識した。 入院以降、症状... 2024.10.07 小説
小説 蓮花7 日本のみならず世界中が混乱の渦に巻き込まれたなか、佳佑はあえて感染のリスクが高いと言われている行為を試すようなタイプではない。前年の春先以降、家の外での飲食は極力ひかえていた。対面して話をするような場面ではマスクを外したことなどなかった。密... 2024.10.06 小説
小説 蓮花6 一定の期間、一定の費用をかけて作成された報告書を目の前に差し出されたとき、胸の奥にすっと冷たい空気が流れ込むような違和感を得た。それが何かの警告であることは、佳佑自身がよく知っていた。「この書類をお渡しすれば、我々の仕事は終わりです」 ブラ... 2024.10.05 小説
小説 蓮花5 佳佑が幼かったころに修善寺を切り盛りしていた夫婦が亡くなってから、隆一が跡を継いだことはもちろん知っていた。父と子の、世代をまたいだ懸案事項を引き継いでいることも。それでも、いざ相手の声を耳にすると、肝心な言葉がうまく口をついて出てきてはく... 2024.10.05 小説
小説 蓮花4 あの店はどうなっているだろうか。 夏椿の枝を剪定鋏で整えながら青い空を仰ぐと、ふとそんな思いが下りてきた。 都内にあるはずのその店を一度も訪れたことはない。店構えや暖簾を見たこともない。知っているのはあの人の存在だけだ。 テレビを点けるたび... 2024.10.03 小説
小説 蓮花3 緊急事態宣言下、収入を絶たれた飲食店の経営者達がどれほど先行きの見えない不安な日々を送ったか、想像に難くない。不安は現実のものとして彼らの経済を直撃したし、店を手放す者たちの嘆きが世に蔓延していた。実際に、祐子と二人でこれまで定期的に通って... 2024.10.02 小説
小説 蓮花2 土地に対する経験の反動だろうか。人に対する執着は我ながら強いように思う。 佳佑という人間がどこから来てどこに行こうとしているのか。そのすべてを知っていた妻、祐子ゆうこの存在は、佳佑を港に舫もやうロープのようなものだった。祐子がいる家は間違い... 2024.10.01 小説
小説 蓮花1 年の瀬に得体の知れないウィルスによる感染症の存在が明らかになった。それからというもの瞬く間に世界中に広がり、東京に最初の緊急事態宣言が出されたのは二〇二〇年四月初旬だった。様々な情報が飛び交うなか、手洗いや手指の消毒、マスクの着用といった日... 2024.09.30 小説
小説 月見草19(最終回) 「そうですか。教師を待っている子どもたちが、大勢いるんでしょうね」「事故を起こした原発の、警戒区域や計画的非難区域周縁では特に。その地域の人手を、一人分だけでも補えればいいんですが」「では、今年度いっぱいで?」「はい。たった今、決めました。... 2024.09.30 小説