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捜査上支障のない範囲で倉科に事件のあらましを話して聞かせる準備をしながら、桜田は自前の『捜査ノート』を広げて眺めた。そこには実に多くの人間の名前が連なっている。人間一人の存在の背後に、様々な感情が蠢いているものなのだとあらためて思わされる。そしてその最も新しいページに、事件の第一発見者であるOLの供述書から事件の要点を書き抜いたメモがある。
二月十二日、日曜日、夜。都内からの一一〇番通報があった。
帰宅途中のOLが、路上で倒れている男を発見した。OLの名は森下礼子。
供述によれば、彼女の目は背中を丸めて倒れている男の姿に釘付けられた。男の体の下にとろりと溜まった血糊は、見る間にその面積を増していく。小刻みに震えていた男の体が、やがて動かなくなった。あ、この瞬間に死んだのだと、人間の臨終に慣れているはずもない礼子にさえ直感できたほど、男の体の細動と沈黙との落差は激しかった。
初めて目の当たりにする光景に、礼子の体は強張った。金縛りにあったかのようだったと供述している。しかし、遠くで何かが動く気配を感じ、反射的に顔を上げた。視線の先には、点在する街灯が等間隔で路上に光の輪を描いていた。そのうちのひとつに一瞬、人影が照らし出された。礼子は「女」だと思った。そう思うが早いか、影はあっという間に闇に吸い込まれてその姿を消した。礼子は震える手に何とか力を込め、コートのポケットから携帯電話を取り出した。そしてやっとの思いで一一〇番を押し切った。
十一時五〇分頃、礼子の発した一一〇番通報は、警視庁の「通信指令センター」に入った。二十三区をほぼカバーするこのセンターは、最低でも毎日五千件入るという通報のうちのひとつとして、礼子からの情報を受信した。「刺殺体発見」の報は重要案件として即座に通信指令センター内の無線指令台に送られ、同時に所轄警察署にも送られた。この報によって、所轄警察署地域課に属する制服組が現場に急行する。
現場に到着すると、彼らはまず通報された内容が事実なのかどうかを確認する。今回のような殺人事件なら、その現場に確かに死体があることを見届けた上で適切な範囲に立ち入り制限区域を設定し、現場の保存にあたることになる。それと同時に、第一発見者から事情を聴取する。現場には所轄や機動捜査隊、鑑識係官などが次々と到着し、数十人もの警察関係者でいっぱいになる。
『永遠の花嫁』第一章「早雪」B6
『永遠の花嫁』
