『永遠の花嫁』第二章「粉雪」A12

『永遠の花嫁』

「川村椿には、特に親しくしているような相手はいましたか?」
「うーん、そうですね。いなかったと思います」
「高橋さんをはじめとした、職員の方々とも?」
「基本的には同じでした」
「そうですか」
 花庵を辞した後、椿をよく知る人間に行きあたるかもしれない。そう思っていた。しかしこうも()しの(つぶて)では、椿との再会はもとより、彼女を知る人間との出会いも期待できそうにない。
「椿さんもよくここで過ごしていましたよ。この席に座って、真っ直ぐにこの書を見ていました」
 倉科はもう一度書を見上げた。
「しかし、病院に連れて行くときだけは、いつもよりほんの少しだけ多く話しをしました」
「病院、ですか?」
「はい。定期的にカウンセリングを受けていました」
 倉科は高橋の言葉に引き寄せられた。
「それはどんな理由で?」
「分かりません」
「どうしてですか? あなたはここの管理責任者でしょ? 施設の入所者の状況を把握しているのが当たり前なんじゃないですか?」
 高橋には、倉科からいわれのない批判を受ける必要など毛頭ないはずだ。それでも笑みを絶やさないまま、彼は倉科の気勢を制した。
「倉科さん。こういった施設に勤めていますとね、他人の辛い人生に否応なく出くわすわけです。それをまともに受け止め過ぎると、こちらの身がもたない」
 ある程度の干渉と同程度の無関心。その狭間に自分自身を保っている。高橋はそう言った。
 確かにその通りだ。自分の身に照らし合わせて、倉科も高橋の考えに同調することができる。「ここにいる間、私はあの子の平安を守りました。カウンセリングの件について言えば、彼女自身が医者とのやりとりを誰にも知られたくないと言いました。それが彼女の平安を守ることになるのなら、私にはそうしてあげることしかできません」
 先刻までの柔らかな物腰とは異なり、高橋の顔から曖昧な笑みは消えていた。背中に太い鉄骨が新たに組み込まれたように、顔を上げて胸を張り、真っ直ぐに倉科を見ていた。
「分かりました。それなら、その病院を教えてください。直接訪ねてみます」
「病院の名前と所在地を教えることは構いません。医師の名前は、確か藤本先生だったと思います」
 高橋はシャツの胸ポケットから手帳とボールペンを取り出した。罫線が引かれただけのページを一枚引きはがすと、さらさらとペン先を走らせた。高橋が差し出したメモを、倉科は受け取った。そこには『藤本メンタルクリニック』と『三鷹』の文字が走っていた。 倉科はそれを二つに折ると、胸のポケットに入れた。

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