倉科は胡坐をかいた自分の太股に重さを感じた。見ると、椿の右手がそこにあった。そのことに気がついたとき、今度は首筋に温かく柔らかな感覚が走った。椿が首筋に唇を這わせていた。
「先生、しょっぱい」
「だめだ、川村」
倉科は体を反らせて椿の手と唇とから逃げようとした。
「こうした方が、あんたも楽でしょ?」
耳元で囁かれる甘く掠れた声。二つの瞳が、とろりと濡れた眼差しを倉科にからめる。それは川村椿の体から発せられた声でありながら、彼女本人のものではなかった。椿の姿をしているが、何か別の生き物。そう思えた。
「川村、やめろ」
椿の右手が、いつの間にか倉科の左手を捉えていた。力を込めればその手を振り払うこともできただろう。しかし、それができなかった。振り払うような拒否の仕方は、椿の存在そのものを否定することになりそうで、怖かった。倉科の左手は椿の右手に導かれるまま、セーラー服越しに彼女の乳房に触れていた。倉科は椿の右手首を掴んだ。そして最小限の力加減を模索しながら、その動きを制御した。その一方で、椿の唇は倉科の首筋を濡らし続けている。
「頼む。川村、やめてくれ」
努めて冷静に、一字一句を噛みしめるように倉科は言った。一連の行動の裏に、椿自身でさえも気がついていない意味が隠されているとしか思えなかった。彼女の身を貶める行為を、それ以上続けさせるわけにはいかないという思いだけが、倉科を支えていた。
「あんたは、私のこと欲しくないの?」
倉科は胸が押し潰されそうになる自分を感じていた。体の向きを変えて、椿の体と自分の体との間に空間を作った。倉科が態勢を変えたことで支えを失った椿の体は、倉科の膝元に崩れかけた。手を衝いてそれをしのぐと、椿の首ががくりと折れた。うつむいた顔に、長い髪がばさりと覆いかぶさった。
「何にも出来ないくせに、格好つけんじゃないよ」
髪に被われた影の中からそう吐き捨てる声が聞こえた。地を這うような、悪意の塊のような言葉は、その口から発せられたものでありながらやはり椿のものとは思えなかった。倉科は立ち上がった。
「川村。明日は木曜日だ。学校に来てくれ。少し、落ち着いて話そう」
「椿はここには居ない。私は椿じゃない」
獣のような叫びが、倉科の鼓膜を揺るがせた。支えを失った椿の体は、畳の上に投げ出されたまま微動だにしなかった。ただ顔を覆うようにしなだれた髪の間から、鈍く光る二つの目が倉科を見ていた。
『永遠の花嫁』第二章「粉雪」A4
『永遠の花嫁』