「先生、どうしたんですか? こんなところで」
不動産会社の車の後部座席のドアが素早く開け放たれた。そこから下りてきたのは桜田だった。彼女は無駄のない動きで倉科の車の横に立った。倉科は車を降りた。
「ここは、以前教え子が住んでいたアパートなんです。一戸達樹と同じクラスだった女子生徒の」
「それは、川村椿ですね」
『一戸ノート』はすでにこの桜田の手に預けた。昨夜のうちに目を通していたのであれば、椿の名を知っていて当然だ。
「はい。もしかしたら当時のことを少しでも思い出せるかもしれないと思って。ここには一度だけ家庭訪問で来たことがあったので」
出来る限り嘘を含めないで話をしたい。倉科は話す内容を冷静に選び取った。
倉科がそう返事をしたのとほぼ同時に、確か山脇といったか、車の反対側から若い刑事が姿を現した。
「川村さんが入居していたのは七年前です。何の参考にもならないと思いますよ。その後何世帯か出入りしていますし」
運転席を降りた不動産屋の若い社員が山脇に話している。この若者は倉科と二人の刑事の間で、面倒臭そうな表情を隠そうともしなかった。
「まあ、とりあえずは見させてください」
山脇が話すのを見ながら、倉科はこの場を離れる機会をうかがっていた。
「じゃあ、桜田さん。私はこれで失礼します」
倉科は車のドアを開いた。しかし、倉科の背中を桜田の声が追いかけてきた。
「ちょっと待ってください。折角ですから、もう少し付き合ってください。家庭訪問したことがあるのなら、そのときのことも聞かせて欲しいので」
「そうですか。でも、何か参考になることが話せるとは思えませんよ。ここに来てあらためて思ったのは、やっぱり七年も経つと記憶は薄れるものなんだなってことだけですから」
「部屋まで行ったら、その考えが変わるかもしれませんよ。どんな些細なことでもいいんです。少しでも仲間にお土産をもって東京に帰りたいので」
不動産屋と山脇の二人は、すでに階段を上がり始めている。桜田は倉科が戻って来るのを待っている。倉科はそれを無視するわけにはいかなかった。
「分かりました。それでは少しだけ」
そう言って桜田の近くに歩み寄った倉科の耳に、不動産屋と山脇の会話の切れ端が届いた。
「保証人は誰が?」
保証人。その言葉が、倉科に川村椿の足跡をたどる端緒を示してくれた。
二人はアパートを借りる際の保証人について話しているが、倉科はもう一つ別の保証人について考えた。
『永遠の花嫁』第二章「粉雪」A6
『永遠の花嫁』